体用(たいよう[3]、たいゆう[注釈 1]、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: t? yong、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:體用[5]、躰用[2][6])すなわち「体と用」「体・用」は、中国哲学の対概念。中国仏教・儒教・玄学・文学理論など様々な分野で使われる。清末の「中体西用」や日本語文法の「体言・用言」でも知られる。体用思想[7]、体用論[1]ともいう。「相」(そう、?音: xiang)を加えて体相用(たいそうゆう)ともいう[8]。 「体・用」は一般に「本体・作用」「実体・現象」などと翻訳されるが[9][注釈 2]、厳密には翻訳不可能かつ説明困難とされる[9]。喩えるなら「水・水面の波」[注釈 3] 「花・花の匂い」[13]「刃・刃の鋭利さ」[14]のような関係とされる。両者の相即不離を含意する場合もあれば、両者の区別を含意する場合もある[4]。 「体・相・用」の場合、「相」は「性質」「性能」などと訳される[8]。 「体・用」の類義語に「本・用」「本・末」「本・迹(跡)」などがある[15]。 先秦の用例は絶無に等しい[16]。『荀子』富国篇に唯一の用例があるが、意味が後世の用法と異なり類例に過ぎない[16][17]。同様の例は、後漢末の魏伯陽
意味
用例史
前史
類義語の「本・用」などは、先秦から用例がある[15]。 初出は一般に魏晋南北朝の間とされるが、どの文献かは諸説ある[18]。船山 2019 によれば、広く支持されている説は、南朝斉の劉?『文心雕龍』徴聖篇、および梁武帝著沈績
初出から唐代
中国仏教の主要な用例として、『大乗起信論』における「体・相・用」の「三大」や、天台智『法華玄義』における「名・体・宗・用・教」の「五重玄義」がある[4][11]。吉蔵は『大乗玄論』の二諦説をはじめ[1]、複数の著作で「体・用」を用いている[27][28]。
以上のほか、唐代まで類例も含めれば、王弼『周易注』[4]、范?『神滅論』[14][21][29]、法上『十地論義疏』[4]、天台智『法華玄義』の仏身説[1]、法蔵『華厳経探玄記』の法界縁起説[1]、『楞伽師資記』所引の神秀の学説[30]、慧思または曇遷『大乗止観法門』[21]、法海(中国語版)『壇経』[21][4]、『成唯識論』[31]、孔穎達『周易正義』[29][1]、李鼎祚(中国語版)『周易集解』所引の崔憬『周易探玄』[4][32]、司空図『二十四詩品』[4]などに用例がある。