体液説
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「四つの気質」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「四つの気質 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」の四体液説と「気・水・火・地」の四大元素との対応、「熱・冷・湿・乾」の4つの基本性質の関係。

四体液説(よんたいえきせつ、: humorismまたはhumoralism)は、「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4種類を人間の基本体液とする体液病理説(: humoral pathology)である。体液病理説(もしくは液体病理説)とは、人間の身体には数種類の体液(ラテン語: humorは古代ギリシャ語: χυμ??、chymosの訳語で、そのまま「体液」を意味する)[1]があり、その調和によって身体と精神の健康が保たれ(Eucrasia)、バランスが崩れると病気になる(Dyscrasia)とする考え方で、古代インド(アーユルヴェーダ)やギリシャで唱えられた。インドからギリシャに伝わったとも言われる。

四体液説は、西洋で広く行われたギリシャ・アラビア医学(ユナニ医学)の根幹をなしており、19世紀の病理解剖学の誕生まで支持された。どの体液が優位であるかは、人の気質・体質に大きく影響すると考えられ、四体液説と占星術が結びつけられ広い分野に影響を与えた。
全体観(holism)ヒルデガルト・フォン・ビンゲン著Liber Divinorum Operum(13世紀初頭)に描かれた、宇宙(マクロコスモス)の中に立つ人間(ミクロコスモス)、「宇宙の中の人間」(Universal Man)。ホリスティックな宇宙観、人間観を示す[2]

古代ギリシャ人やインド人は、体の一部が病んでいるのではなく、全体が病んでいるのであり、病気は一つだけで、それが色々な形で表れているのだと考えた。このような考え方を全体観(holism、ホーリズム)と言う[3]。体液は体中に偏在しているため、体液病理説とはすなわち全体観の医学だった。病気は一つなので、病気はどこにあるか、病気はなんであるかという問いはあまり重視されず、診るべき対象は患者の体全体であると考えられた。

古代ギリシャ医学をまとめた『ヒポクラテス全集』の論文を見ると、病気の経過について詳細な記録が残されているが、病名はほとんど記されていないことがわかる[4]。体液病理説のヒポクラテスはコス派というグループに属しており、ライバルにあたるクニドス派は、病気の所在は身体の固体部分、つまり臓器にあるとする固体病理説(または局在病理説、臓器病理説)だった。クニドス派では、診断が重視され、病気が細かく分類されたが[5]、この時代には病気の分類を行う十分な知識・技術がなかったこともあり、より大きな成功を収めたのは全体観(holism)の体液病理説に基づくコス派だった。
西洋の体液病理説
古代ギリシャ・ローマ「ヒポクラテス」および「ガレノス」も参照壁画に描かれたヒポクラテスとガレノス、12世紀イタリアのアナーニ

古代ギリシアの医学は、ヒポクラテスの死後100年ほどたってから、ヒポクラテス(紀元前460年ごろ - 紀元前370年ごろ)の名のもとに『ヒポクラテス全集』にまとめられた。そこでは、人間身体の構成要素として、臨床経験から2?4種類の体液が挙げられている[6]。ローマのガレノス(129年頃 - 199年)は、ヒポクラテス医学をベースに当時の医学をまとめ、人間の体液は血液を基本に「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4つから成り、そのバランスが崩れると病気になるとする四体液説を継承し発展させた。ガレノス以後、体液病理説(四体液説)は、西洋文化圏で行われたギリシャ・アラビア医学の基本をなしており、19世紀の病理解剖学の誕生まで支持されていた。
四体液説

ヒポクラテスなどの古代ギリシャの医師たちは、患者の体から出てくる液体を観察し、人間の体内には、栄養摂取による物質代謝の産物であるいくつかの体液があると考えた[4]

血液(Gk. haima)は、体内の熱が適当で、食べ物が完全に調理(消化)された時に生成され、生命維持にとって重要であるとされた。一方、粘液と胆汁は悪い体液と考えられた。体内の熱の過少によって生じる粘液(Gk. phlegma)は、ギリシャ語のphlego(燃える)という動詞からきている。古代ギリシャでは、体の中で燃えるのは「炎症」または「消化」であると考えられたことから、冬に起こる炎症の産物が粘液と呼ばれた。 また、脳は粘液による保護が必要で、脳に達して適度な冷えと潤いを与える。脳からあふれた粘液は、鼻汁となって出てくる[7]。体内の熱の過剰によって胆汁が生じるが、数合わせのために黒胆汁が加えられ[6]、黄胆汁(Gk. chole)・黒胆汁(Gk. melan chole)となったという。黄胆汁は血液の泡状のもので、軽く熱い。黒胆汁は、鬱状態の人の排泄物の色から名付けられたと言われる。黒胆汁には酸味があり、体を腐食させるとされた[7]分離した血餅、血球、血清(オレンジ色の部分)

体液の種類は、最初から4種類で統一されていたわけではない。『ヒポクラテス全集』に収録された論文「人間の自然性について」の中では、四大元素説の影響を受けて、人間は血液粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つからできていると述べられており[8]、これが主流の分類である。しかし「疾病について」の中では、血液、粘液、胆汁、また「疾患について」で、病気はすべて胆汁と粘液の作用であるとしており、定まっていない。どちらを採用するかは学派によって異なり、ヒポクラテスのコス派は血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁の四体液説で、クニドス派は胆汁・粘液説であった[6]。ローマのガレノスが、四体液説を継承しギリシャ医学をまとめ上げたため、後世に残ったのは四体液説だった。

また、フォーレウス・リンドクヴィスト効果(英語版)の発見者の一人である病理学者ロビン・フォーレウス(スウェーデン語版)(1888-1968)は、四体液説は、血液の観察に由来すると示唆した。血液を容器に入れ、空気にさらし室温で放置すると、上澄みと凝固部分に分かれる。この血清白血球赤血球血餅が、黄胆汁、粘液、血液、黒胆汁の由来ではないかと推測した[9]
体液と病

体液の生成と混和、バランスの回復については、調理に喩えられ説明された。食べ物が昇華されてできた養分は、静脈や肝臓の内で熱によって変化する。体内で発生した熱が適度であれば、その熱によって血液が生じ、適度でない場合には他の体液が生じて、血液に混じることになるのである。その際、より熱ければ胆汁に、より冷たければ粘液になる。黄胆汁は脾臓で吸収されて血液は浄化されるが、脾臓の機能が悪い場合には、黄胆汁は煮詰まったように黒胆汁となるし、脾臓自体が、病的状態にあれば、うまく調理されない黒胆汁が身体をめぐることになる。体内の熱源は、大宇宙の中心である太陽と同様に、小宇宙である人体の中心器官である心臓と考えられた[4]

病気になった体は、「自然(ピュシス)」の治癒力・内なる熱によって回復する。すなわち、誤って混和した、あるいは生の状態の体液を調理して、体液の乱れを正常に戻そうとするのである[10]。調理で無害になり、健康な成分から分離された「悪いもの」は、嘔吐、下痢、排尿、喀出、発汗、出血、化膿などのルートで体外に排出される。怪我のような局所病の時は、炎症の形で悪い体液を「煮沸」し、消化して、膿の形で排出する。全身、局所を問わず、発熱から化膿まで、すべて治癒の過程であると考えた[11]

調理に喩えられた「食物が体内の熱によって処理されること」は、「熟成(ペプシス)」と言われ、「古い医術について」では、体液の熟成状態と「混和(クラーシス)」の状態が重要であるとされた[12]。『ヒポクラテス全集』に納められた論文「人間の自然性について」では、最も健康な状態は、四体液の力や量がバランスを保った状態で、特にお互いに混和(クラーシス)した状態であると説明される。病気とは、体液の一つが多すぎたり少なすぎたりする場合、また一つだけが切り離されて他と混和しない場合に起こる[13]。四体液はそれぞれ2つの性質を持っているので、互いに反発しつつも引かれ合う。体液のバランスが崩れる原因は、体質、生活環境、生活様式、食事などである。
体液の性質と治療「四大元素」、「ユナニ医学#治療」、および「ユナニ医学#薬剤」も参照古代ギリシャの壺に描かれた瀉血の様子

治療の方針は、過剰な力を除去し、不足するところに加えて(逆療法[14])、バランスを安定させることだった。四体液説は、「熱・冷・湿・乾」からなるアリストテレスの四大元素説(四性質説)と関連付けられたため、例えば黒胆汁の過剰による病気の場合、その性質は「冷」なので、過剰な黒胆汁を排出し、熱性の食べ物や薬草を摂取して、体液のバランスを戻すよう試みる。ヒポクラテスは、「反対はその反対で治療される(英語版)」という原則を唱えたといわれており、医者はそれぞれの病気や薬草、風土、人間の性質を理解し、治療に生かそうとした。

ローマのガレノスは、ヒポクラテスの「自然」「体液病理説」「四体液説」「逆療法」などの考え方を受け継いで、古代ギリシャの医学をまとめ上げた。またガレノスは、人間の霊魂はプネウマ(生気、精気、霊気、空気、気息とも)を介して肉体を操っていると考え、四体液とプネウマの適度な混合が大切であるとした。プネウマは中医学における気、アーユルヴェーダのヴァータ(風、体風素)に比されるもので、生命エネルギーのようなものだという。人間が生きるには栄養とプネウマが必要であり、栄養が生きたものとなるにはプネウマが不可欠とされた[15]。後のキリスト教では、プネウマは三位一体の「聖霊」と理解された[16]

ギリシャ・ローマの医学では自然治癒を重視し、悪い体液を排出し自然治癒を促すために、刃物やヒルを使って悪い体液を排出する瀉血(刺絡とも)や、下剤、浄化剤、緩下剤、誘導剤を用いた。また、体液のバランスのために、食事療法や運動、入浴も重視された。「医術について」では、すべての人に当てはまる最高のバランスがあるわけではなく、人によってその体にふさわしいバランスがあり、また健康にいいものは状況・年齢などによって変わってくると説明される。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:59 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef