体操競技
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体操競技の一つ、女子平均台(2007年、ダニエリ・イポリトによる競技場面)体操競技の一つ、男子鉄棒(2007年、ファビアン・ハンビューヘンによる競技場面)

体操競技(たいそうきょうぎ)は、徒手または器械を用いた体操の演技について技の難易度・美しさ・安定性などを基準に採点を行い、その得点を競う競技スポーツ)である。
概要

学校体育で用いられる鉄棒・跳び箱・マット運動をはじめ、雲梯ジャングルジム・登り棒・滑り台ブランコ等も含めることができる。

競技スポーツとしては、男子は床運動(ゆか)・鞍馬(あん馬)・吊り輪(つり輪)・跳馬平行棒鉄棒の6種目、女子は跳馬・段違い平行棒平均台・床運動の4種目が行われている。女子の床運動では音楽が用いられる。体操器具は高価であり、日本国内では段違い平行棒等を所有していない学校でも競技に参加できるよう、代わりに低鉄棒を大会種目に設ける場合もある。

採点方法は、10点満点制が長年にわたり親しまれてきたが、高難度化にともない2006年に上限が廃止された(詳細は後述)。技の名前に、それを最初に成功させた選手の名前が付くことも特徴である。

男子は日本アメリカ合衆国中華人民共和国等が、女子はルーマニア・アメリカ合衆国・中華人民共和国等が強豪国として知られる。かつてはソビエト連邦ドイツ民主共和国(東ドイツ)も名を馳せた。

すべての種目において身体を回転させる技が求められる競技特性上、回転の妨げとなる慣性モーメントが小さいほど高得点を得る上で有利となる。したがって身長・体重は小さいほど選手としての適性が高く、国際的な一流選手においても男子は160cm台、女子は140cm台も多い。主力選手が10代中心と低年齢化の進んだ女子においては、第二次性徴の発現とともに、競技の上では無駄にしかならない体脂肪が増えて体格が大きく変わってしまい、選手としての能力面で旨みのある時期が終わってしまう等の理由から、身体が成長する前に年齢による出場資格の下限がある上位の国際大会に出場させるために年齢を実年齢よりも高く詐称させるという問題がたびたび持ち上がる[1]。一方、男子においては体幹・上腕の強靭な筋力を求められる種目が多く、筋肉を競技上不利とならない範囲で最大限に増大させると同時に体脂肪を極限まで落とすことが求められる。

一方、競技中・練習中に発生する事故により、死亡または頸椎脊椎の損傷(脊髄損傷)による重大な後遺症を受傷する事例も少なくない[注 1]、危険なスポーツでもある。このため年齢・性別による禁止技が設けられており、整った環境・補助の下で適切な指導を受けることが重要である。

日本では競技体操新体操トランポリンらと並ぶ一分野(種別)「体操競技」という、用語がややこしい状況にある。これらと区別をする為「器械体操」と呼ばれる事もある。

男子種目

ゆか

あん馬

つり輪

跳馬

平行棒

鉄棒


女子種目

跳馬

段違い平行棒

平均台

ゆか

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この節の加筆が望まれています。

1811年、ドイツのヤーンがベルリン郊外ハーゼンハイデというところで、若者を集めて小さな体育場を開設した。そこには、今の器械の原形となる、木・棒・あん馬・平行棒などがあり、若者達は熱気にあふれていたという。若者達は、いろいろな器具を使い、技を沢山作り、競い合ったという。

そして、それが現在の鞍馬や、鉄棒などにつながるものになった。

1881年国際体操連盟(Federation Internationale de Gymnastique 略称:FIG)が3カ国により設立、1921年にアメリカ合衆国等非ヨーロッパ諸国が連盟に加わり、現在の形に再編成されるまで、欧州体操連盟(FEG)と呼ばれていた。 体操競技は1896年第1回近代オリンピック・アテネ大会の競技として含まれ、1903年からは世界体操競技選手権が開催されるようになった。

女子体操については、団体競技が1928年アムステルダムオリンピックから、世界体操競技選手権には1950年第12回世界選手権から、競技されるようになり、個人競技は、個人総合が1934年第10回世界選手権から、第12回世界選手権で種目別4種目が取り入れられ、1952年ヘルシンキオリンピック以降現在の形となった。
日本における体操競技
概要

団体総合に強く、1960 - 70年代にかけ、オリンピック・世界選手権にて男子団体総合が10連勝するなど、"日本式体操"が世界の頂点に君臨し「体操ニッポン」「お家芸」と謳われるまでに至った。日本人選手の名前が付く技も多い。

伝統的に鉄棒を得意とする選手が多い。
歴史

日本に器械体操が最初に導入されたのは、1830年(天保元年)頃、高島秋帆による藩の新兵訓練とされている[2]。徴兵令施行により、日本軍の新兵訓練にも採用された。しかし入隊後の訓練期間が惜しいと、学校教育にも器械体操が採用されるようになった。

1932年(昭和7年)、ロサンゼルス五輪に初参加したが、参加5ヶ国中最下位であった[2]。しかし、これを機に国際大会への参加も相次ぎ、学生スポーツとして徐々に盛り上がりを見せた。

第二次世界大戦後数年は、国際的な連盟に加盟できず、オリンピック・世界選手権等には出場できなかった。しかし、この間に外国(アメリカ、ドイツ等)との交流試合を開催し、世界水準にまで成長した。1952年(昭和27年)のヘルシンキ五輪では団体5位はじめ種目別でもメダルを獲得。1960年(昭和35年)にはローマ五輪にて男子団体優勝。以後約20年間の長期にわたり連覇を続け、さらに個人総合・種目別金メダルも多数獲得。文字通り、この時期の日本の体操は無敵と言えるもので、日本の体操は20年にわたり世界の頂点に君臨した。

ボイコット不参加となったモスクワ五輪前後から選手の技能継承の失敗やエースの後継者育成の失敗などの要因で凋落。ロサンゼルス五輪以降は長らく世界選手権を含め金メダル獲得が無く、不振の時代を迎えた。特にアトランタ五輪シドニー五輪はメダル無しに終わった(注:この間、世界選手権での銀・銅メダルはあった)。2000年(平成12年)前後には不況の影響もあり、企業の部活が相次いで休部・廃部に追い込まれた。

しかし、2003年(平成15年)に世界選手権種目別(鉄棒・あん馬)で金メダルを獲得、団体でも8年ぶりに表彰台に上がる等、復活の機運が見えはじめた。翌年のアテネ五輪で28年ぶりに男子団体優勝を果たし、再び世界のトップレベルに返り咲いたことを強く印象付けた。以後、北京五輪ロンドン五輪でも団体銀メダルを獲得する等、種目別・個人総合での優勝含むメダル獲得が続いている。


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