体操着
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体操着(たいそうぎ)または、体操服(たいそうふく)とは、広義には運動服やトレーニングウェアのことであるが、特に学校教育における体育等の時間に着用される被服(学校体操服)をいう[1]。体育着(たいいくぎ)や、体育服(たいいくふく)などともいう。ただし、学校の制服と同じく世界共通で定められているものではない[2]

素材は吸湿・速乾・高通気・軽量・防水・撥水などの機能を持たせたポリエステル(または綿・ポリエステル混紡やキュプラ・ポリエステル混紡)が多い[1]
各国での指定

北海道以外の日本全国の小学校中学校高等学校では学校体操服が指定されていることが多い。日本では体育の時間以外にも遠足やボランティア活動などにも着用されるため所属を示す固有のデザインの体操服であることがその条件とされている[1]。学校体操服はメーカーの設計したデザインやブランドから選択されるが、学校体操服は「制服に準ずる服装」という考え方と「体育の教材」という考え方があるとされ、学校ごとの体操着の選択は投票で決定している学校もあれば体育科教員が決定している学校もある[1]

中国でも学校体操服の指定がある[2]。中学校・高校では、登下校時や体育を含むすべての授業で「校服」と呼ばれるジャージ上下を着用している(学校制服#中国大陸も参照)。

韓国でも学校体操服の指定がある[2]。多くの小・中・高校で体操着を定めており、小学校では青や水色を基調としている場合が多い。中学校・高校では、冬季はジャージや丸首のトレーナーを着用し、夏季は日本と同じ白地の半袖体操着も見られる。体操着は「体育服」と呼ぶが、学校の体操着だけでなく、成人が着用するジャージやトレーニングウェアなども「体育服」と呼ぶことがある。

日本人学校(小・中学校)では現地、海外の児童、生徒も日本の児童、生徒と同じ体操着を着用するだけでなく、体育帽子まで被らせているところもある[3]

欧米では体育の授業の際は各自で運動しやすい服装や靴を自由に着用することとしている学校もある。アメリカ合衆国では服装も自己表現の一つと考えられており制服や体操着は一般的ではない[2]フランスでも体操着の指定は一般的ではなくジャージの着用でよいとしている例がみられる[2]。一方、イギリスイタリアでは学校によっては体操服が指定されている場合もある[2]
歴史

日本では森有礼が文部大臣就任後の1887年夏頃に「兵式体操に関する建言案」を起稿し、これを背景に師範学校を含む学校の体操科では軍事的色彩が強くなり、学校体操服も軍服に準じた服装となった[1]。1886年(明治19年)の高等師範学校を皮切りに陸軍士官学校の制服、制帽、靴に模したフランス式の服制が一般化した[1]。当初の学校体操服は「演習服」と呼ばれており教練や兵式体操の延長の行軍旅行にのみ着用されていたが、やがて通常の授業でも着用されるようになった[1]

一方、女子は明治初期には「着流し」と呼ばれる和服を着用していたが、着物の裾は長くタスキ掛けなどをして運動に参加していた[1]。明治30年代になりドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツ(東京医学校教師)の主張などもありが着用されるようになり、袴の裾などを改良した「くくり袴」も登場した[1]。さらに1903年(明治36年)にはアメリカでスウェーデン体操を学んだ井口阿くりが留学から帰国し、ブルーマーズと呼ばれる1850年代からアメリカで採用されていたズボンの上にスカートを着けた改良服をもとに「体操袴」を考案した[1]。この体操袴に若干の改良を加えたものが日本での女子用体操ブルーマーズとなり、1906年(明治39年)の「体操遊戯取調報告」の「女生徒運動服ニ関スル件」で図案付きで紹介されたが、これが運動服に採用されるのは大正末期から昭和初期である[1]

第二次世界大戦終戦直後の1947年(昭和22年)の『学校体育指導要綱』では、学校体操服について「服装は簡易、軽快、清潔にして品位をもたせる。」と定められた[1]。ところがそれ以降の学習指導要領において体操服に関する記述はなくなった[1]

1964年(昭和39年)の東京オリンピックの開催でジャージの学校体操服の普及・定着がなされたといわれている[1]

1975年、複数の学販スポーツウェアメーカーによって任意団体である「SSC(スクールスポーツクラブ)会」が発足した[4]
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赤系統の色が設定された体操着(男女共通)の一例。1992年以降の日本の教育現場においては、このようなシャツとパンツの組み合わせが採用されている。

体操着は普段着より身体の動かしやすさを重視して作られている。

多くの学校では体操着は基本的に次のセットで揃えられる

体操着セット上着A上着B(上着A着用時は中衣
トップストレーニングシャツ体操シャツ(学校によって半袖・長袖のどちら片方かまたは両方)
ボトムストレーニングパンツ体操パンツ(ハーフパンツクォーターパンツショートパンツ短パンなど)
ブルマーについては現在非採用

地域や学校によっては、気候的、もしくは精神論的な理由等から年中上着Bのみの姿で過ごさせる場合も有る。

学校によっては体操着の生地色やライン色、名前の刺繍色、校章の色を変えて学年を区別[注 1]していたり、ジャージの上下のみを学校が指定し、体操シャツ・ハーフパンツは色だけ指定しているところもある。

体操着と共に着用する下着インナーウェア)はTPOに応じて着用する必要があり、スポーツ体育授業など運動時はスポーツブラ(スポーツブラは形状・材質が通常のブラジャーと異なり、運動時以外での着用は適さない[5])などのスポーツ用の下着またはそれに準ずる下着を着用、健康診断受診時は下着着用に制限がある。小学校5年生女子の体育授業で体操着の下にをかいてそのままにしていると風邪を引くと言う理由で下着・ブラジャー着用を禁止して問題になったことがあった[6] [注 2]


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