佐野洋子
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推理作家・評論家の「佐野洋」あるいは経済学者の「佐野陽子」とは別人です。
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佐野 洋子
(さの ようこ)
誕生1938年6月28日
中華民国 北京市
死没2010年11月5日(72歳没)
職業絵本作家脚本家翻訳家
言語日本語
国籍 日本
最終学歴ベルリン造形大学
ジャンル絵本脚本
代表作『100万回生きたねこ』(1977年)
主な受賞歴第8回講談社出版文化賞(1977年)
第1回新美南吉児童文学賞
(1983年)
紫綬褒章(2003年)
小林秀雄賞(2004年)
第31回巖谷小波文芸賞(2008年)
デビュー作『やぎさんのひっこし』(1971年)
配偶者谷川俊太郎1990年 - 1996年
子供長男・広瀬弦(イラストレーター・画家)
公式サイト ⇒佐野洋子 official web site
ウィキポータル 文学
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佐野 洋子(さの ようこ、1938年昭和13年〉6月28日 - 2010年平成22年〉11月5日[1])は、日本の絵本作家エッセイスト[2][3]

代表作として、絵本『100万回生きたねこ』(1977年)。エッセイ、児童文学、脚本、小説、海外絵本の翻訳も手がけた。
生涯

1938年、満鉄調査部勤務[4]の父利一、母シズの間に、長女(7人きょうだいの第二子)として[5]北京で生まれる[2][3]。幼少期を北京で過ごし、1945年(7歳)に大連に転居して小学校に入学[5]、同地で日本の敗戦を迎える[5]。1947年(9歳)に一家は山梨県に引き揚げ、当初は父方伯父のもとに身を寄せた[5]

1942年に三弟(生後33日)、1947年の引き揚げ後に四弟(4歳)を亡くし、1948年(10歳)には大好きであった[4]兄(11歳)を亡くしている[5]。幼少期の肉親との死別は、後の作風にも影響を与えている[4]。また、母シズとの関係は確執を含んだもので、「家族」を題材とする多くのエッセイが書かれた。

1950年に静岡市、次いで1952年に清水市へ転居[5]静岡大学教育学部附属静岡中学校から静岡県立清水西高等学校に進んだ[5]。1958年、父利一(享年51)を失った[5]。同年、武蔵野美術大学デザイン科に入学[5]。同級に平野甲賀上村一夫らがいた[6]

1962年、武蔵野美術大学デザイン科卒[5]。卒業後、白木屋宣伝部にデザイナー(イラストレーター[6])として入社[5]。このころ、最初の結婚をした[5]

1966年の冬に単身渡欧し[5]、1967年から半年、ベルリン造形大学でリトグラフを学ぶ[6][2]。1968年に帰国、同年に長男(イラストレーター・画家の広瀬弦)誕生[5]

デザイン、イラストレーションの仕事を手がけながら、すべての工程を自分で決めたいと1971年(33歳)に『やぎさんのひっこし』(文は森比左志)で絵本作家としてデビュー[5]。1973年には『すーちゃんとねこ』で文・絵ともに手がけた[5]。1974年の『おじさんのかさ』で注目され[2][3](第22回サンケイ児童出版文化賞推薦[5])、1977年、『わたしのぼうし』で第8回講談社出版文化賞絵本賞受賞[5]。同年、ロングセラーとなる絵本『100万回生きたねこ』刊行[5]

1980年離婚[5]。 1982年に初のエッセイ集『私の猫たち許してほしい』を出版[5]。1983年に童話『わたしが妹だったとき』で第1回新美南吉児童文学賞を受賞[5]。また、海外絵本の翻訳や、脚本(1987年の「自転車ブタがやってきて…」が初作品[5])も手がけ、1988年には初の長編小説として自伝的な『右の心臓』を刊行した[7]

1990年に谷川俊太郎と結婚した。1996年に離婚[5]。1998年から2003年にかけては北軽井沢に転居[5]

2003年に紫綬褒章受章。2004年、エッセイ集『神も仏もありませぬ』で小林秀雄賞を受賞[5]。2004年には乳がんの摘出手術を受けたが、骨に転移[1]。エッセイ集『役にたたない日々』(2006年刊行)の中で、がんで余命2年であることを告白。


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