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佐賀女性7人連続殺人事件(さがじょせいしちにんれんぞくさつじんじけん)とは、1975年(昭和50年)から1989年(平成元年)までに日本の佐賀県で7人の女性が殺害された連続殺人事件。犠牲者のうち6人が水曜日に失踪したことから、犯人は水曜日の絞殺魔とも呼ばれた[1]。
一連の事件のうち、1件目から4件目の殺人事件は被疑者逮捕に至らず公訴時効が成立した一方、1989年1月27日に佐賀県杵島郡北方町(現:武雄市)の山中で3人の女性(5人目から7人目の犠牲者)が遺体で発見された殺人事件は、男性1人が被疑者および被告人として逮捕・起訴され[2]、佐賀3女性連続殺人事件[3]もしくは北方事件(きたがたじけん)と呼称されている[4]。しかし北方事件も被告人の男性に死刑が求刑されたものの、第一審(佐賀地裁)・控訴審(福岡高裁)で無罪判決が言い渡されて確定しており、結果的に全て未解決事件となっている。 1975年から1989年までに、佐賀県の杵島郡北方町、同白石町、三養基郡北茂安町、武雄市の半径20キロの地域で7件もの女性の殺人事件が発生した。事件の特徴として、以下の点が挙げられている。 4件目までは、捜査機関が犯人を起訴できずに公訴時効が成立。残りの3件は起訴されたものの裁判で無罪が確定したため、7件とも未解決事件となった。1999年(平成11年)9月時点で、佐賀県内では1980年(昭和55年)から1997年(平成9年)までの間に一連の事件を含めて8件の未解決殺人事件(被害者は計11人)が発生しており、うち5件(被害者は一連の事件の被害者であるB・H・I・Aを含む6人)は1998年(平成10年)までに公訴時効が成立していたことから、佐賀県警は「事件に弱い佐賀県警」「さばけんけい」(=事件をさばけない県警、の意)と揶揄された[5]。 なお北茂安町は、中原町とともに2005年3月に三根町と合併し、みやき町となっている。また、北方町も2006年3月に武雄市と合併(編入)している。
概要
被害者女性の失踪が水曜に集中していること(7件中6件)。
夕方から夜にかけて失踪していること。
5件の死因が絞殺であったこと(残り2件は白骨化しており死因不明)。
7人の女性の失踪・発見の詳細
1975年8月27日(水)、北方町に住む当時中学1年生であった B(当時12歳)が、1人で留守番していた自宅から失踪。約5年後の1980年6月27日、白石町の小学校プール横トイレの便槽の中で遺体で発見された。
1980年4月12日(土)、白石町に住む H(当時20歳)が、1人で留守番していた自宅から失踪。約2ヶ月後の6月24日、町内にある小学校の便槽から遺体で発見された(本件のみ水曜日ではない)。
1981年10月7日(水)、白石町に住む近くの工場の従業員であった I(当時27歳)が失踪。同月21日、中原町の空き地で絞殺遺体で発見された。
1982年2月17日(水)、北茂安町の小学5年生 A(当時11歳)が下校途中に行方不明となり、翌日に町内のミカン畑で遺体で発見された。首をストッキングで絞められており、乱暴されたと思われる形跡があった[6]。
1987年7月8日(水)、武雄市の飲食店従業員 F(当時48歳)が失踪、約1年半後の1989年1月27日、北方町大峠の崖下で遺体で発見された。