佐藤純彌
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さとう じゅんや
佐藤 純彌
別名義佐藤 純弥
生年月日 (1932-11-06)
1932年11月6日
没年月日 (2019-02-09) 2019年2月9日(86歳没)
出生地 日本東京都
職業映画監督脚本家
ジャンル映画テレビドラマ
著名な家族佐藤貫一(父)
佐藤純一(兄)
佐藤東弥(長男)
佐藤信行(甥)

 受賞
日本アカデミー賞
最優秀監督賞
1989年敦煌
ブルーリボン賞


新人賞

1964年陸軍残虐物語

監督賞

2006年男たちの大和/YAMATO

その他の賞
日刊スポーツ映画大賞
石原裕次郎賞
2005年男たちの大和/YAMATOモントリオール世界映画祭
最優秀作品賞
1983年未完の対局旭日小綬章
2008年

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佐藤 純彌(さとう じゅんや、1932年11月6日 - 2019年2月9日)は、日本映画監督脚本家。かつては、佐藤 純弥の表記も用いられた。幅広いジャンルを手掛け、莫大な予算と豪華なスタッフ・キャストを使用した作品を多数製作したことから“ミスター超大作”の異名で呼ばれる[1]

父は日本刀学者佐藤貫一。兄は東京大学名誉教授佐藤純一。子に日本テレビディレクター佐藤東弥がいる。
来歴・人物

東京都出身。太平洋戦争時は、山形県鶴岡市の祖父と叔父の元へ縁故疎開した。当時は勤皇少年で、「自分は二十歳まで生きられていない」と思っていたという[2]

東京都立第一中学校在学中に学制改革を経て日比谷高校を卒業。その後東京大学に進学し、文学部を卒業した。

1956年東映へ入社し、東京撮影所のスタッフとしてキャリアを積む。1961年に『宇宙快速船』で助監督として参加。1963年に『陸軍残虐物語』(主演:三國連太郎)で監督デビュー。翌年には『廓育ち』(主演:三田佳子)で一見性的描写で観客を呼び、本質は社会派の内容の映画も監督を務めた。テレビアニメ作品『魔法使いサリー』では佐藤純弥名義での脚本を担当した。

1968年に東映を退社後は、ヤクザ映画を中心に監督を担当。1975年の監督作『新幹線大爆破』は公開当初の興行成績は芳しくなかったが、後年レンタルビデオなどで人気作となった。

以降、『野性の証明』『未完の対局』『おろしや国酔夢譚』『男たちの大和/YAMATO』等の大作の監督を務め上げた。

その後は東京都西東京市に在住し、2000年より地元で開催されている西東京市民映画祭の審査委員長を毎回務めてきた。

2008年旭日小綬章を受章[3]

2010年吉村昭の歴史小説が原作の『桜田門外ノ変』を監督。佐藤自身初となる長編時代劇であった。

2019年2月9日午後11時に都内の自宅で多臓器不全のため死去[4][5]。86歳没。
作詞

作詞の方面でも才能を発揮している。1968年からTBS系列で放送された『キイハンター』の主題歌『非情のライセンス』(作曲:菊池俊輔、歌:野際陽子)に始まり、キイハンターの後番組である「アイフル大作戦」、その後番組「バーディー大作戦」、そしてその後番組であり、1975年から放送された『Gメン'75』と1982年から放送された『Gメン'82』のエンディング・テーマの作詞を務めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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