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日本の政治家佐藤 文生さとう ぶんせい
生年月日 (1919-07-21) 1919年7月21日
出生地 日本 大分県別府市
没年月日 (2000-04-25) 2000年4月25日(80歳没)
出身校明治大学専門部
前職大分県議会議員
所属政党自由民主党
配偶者那智わたる(佐藤美弥子)
第46代 郵政大臣
内閣第2次中曽根内閣(第2次改造)
在任期間1985年12月28日 - 1986年7月22日
衆議院議員
在任期間1967年 - 1990年
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佐藤 文生(さとう ぶんせい、1919年7月21日 - 2000年4月25日)は、日本の政治家。明治大学専門部卒業。別府市名誉市民。ジェラルド・カーティスの著書『代議士の誕生』のモデルとして知られた。 大分県別府市西部の温泉旅館主佐藤倉八の長男として出生[1]。 地元の初等・旧制中学校を経て、明治大学専門部政治経済科に入学。1939年の卒業後[2]、まもなく第二次世界大戦が勃発。陸軍大尉として従軍する。終戦後別府に戻り自動車セールスマンとして働きながら、「日本の伝統の良さを守りたい」という思いから政治に関心を持ち始めた。 佐藤家には政治家と直接のコネはなく、政界進出には大きな壁があった。そこで佐藤は実の妹を大分県議会議長の荒金啓治の子息に嫁がせた。そのコネを活かし、1951年、荒金の地盤を引き継ぎ、県議会議員に初当選した。以後3期12年務めた後、国政進出を決意する。 大物議員に人脈のある岩崎貢
生涯
自民党では村上勇→水田三喜男→中曽根康弘派に属し、裁判官弾劾裁判所判事、運輸政務次官、党広報委員長などを務めた[2]。第2次中曽根内閣第2次改造内閣で郵政大臣に就任[2]。
1990年の総選挙で落選する。
1995年4月、勲一等瑞宝章を受章。1996年の総選挙では比例九州ブロックで出馬するも名簿下位のため落選し政界引退。
2000年4月25日、多発性骨髄腫により死去。