佐藤 慶太(さとう けいた、1957年12月15日 - )は、日本の実業家。タカラトミー特別経営顧問(元副社長)、タカラトミーアーツ及び竜の子プロダクション元代表取締役社長。千葉県出身[1]。
タカラトミーの前身の1社である玩具メーカー・タカラの創業者、佐藤安太の次男。 開成高等学校、慶應義塾大学法学部卒業後、河田を経てタカラに入社しハーティライフ事業部長、国内事業本部長などを歴任するが1996年に退社し、独立して(株)ドリームズ・カム・トゥルーを設立。 1999年にタカラの第2代社長であった兄・博久が業績悪化の為に社長職を更迭され、社長に復帰した父・安太の要請でタカラと顧問契約を結ぶ[1]。2000年2月、コナミの第三者割当増資を受けてコナミグループ傘下となったことに伴い父の後継で第4代社長に就任する。「e-kara」のヒットなどで業績を大幅に改善したものの長続きせず、業績悪化の責任を取って2005年にコナミグループを離脱。代表権を返上して会長となり、アトラス社長・奥出信行に社長職を譲る[2]。同年、アニメ制作会社・竜の子プロダクションを買収しタカラの子会社とする。 2006年3月、タカラが同業のトミーと合併してタカラトミーとなったことに伴い副社長に就任する。2010年6月、成嶋弘毅が竜の子プロダクション社長職を退任したことに伴い、同社の第5代社長に就任した[3]。 2012年4月1日付でタカラトミーアーツと竜の子プロダクションの社長職を退任した後、6月27日でタカラトミー副社長を退き特別経営顧問に就任した。この人事に伴い、タカラトミーの役員より旧タカラの創業家出身者がいなくなる[4]。8月29日、ポリゴン・ピクチュアズ社外取締役に就任[5]。 同年4月3日にthe SOHOビルにて再び(株)ドリームズ・カム・トゥルーを創業するが、本人曰く「自らの経営判断の誤りにより経営危機に見舞われ」[6]、杉並区に本社を移転して業務再建中である。
来歴・人物
受賞歴
2002年 イグノーベル賞(平和賞) - 犬語翻訳機「バウリンガル」開発に対して。鈴木松美(日本音響研究所)・小暮規夫(獣医師)と共同受賞。
脚注[脚注の使い方]^ a b ⇒編集長インタビュー タカラ社長 佐藤慶太(週刊ダイヤモンド)
^ “タカラ佐藤社長が退任、経営責任を明確化
^ “ ⇒竜の子プロダクション 代表取締役に佐藤慶太氏”. アニメ! アニメ! ビズ (2005年1月27日). 2011年7月10日閲覧。
^ “ ⇒タカラトミー、佐藤慶太副社長が退任 旧タカラ創業家退く”. 日本経済新聞 (2012年2月27日). 2012年10月1日閲覧。
^ “ ⇒ポリゴン・ピクチュアズ 社外取締役に佐藤慶太氏が就任”. アニメ! アニメ! ビズ (2012年8月30日). 2012年10月1日閲覧。
^ ⇒http://www.dreamsct.co.jp/#message
外部リンク
⇒タカラトミー
⇒株式会社ドリームズ・カム・トゥルー
先代
佐藤安太タカラ社長
第4代:2000年 - 2005年次代
奥出信行
先代
成嶋弘毅タツノコプロ社長
第5代:2010年 - 2012年次代
田中修一郎
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