佐藤 得二 (さとう とくじ、1899年1月30日 - 1970年2月5日)は、日本の仏教学者、作家。 岩手県胆沢郡金ケ崎村(現金ケ崎町)出身。盛岡中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科卒。哲学研究者として朝鮮の水原高等農林学校(現・ソウル大学校農業生命科学大学)、京城帝国大学予科教授、第一高等学校教授を歴任。『仏教の日本的展開』は名著として知られる[1]。その後、文部省督学官、社会教育局長、国際文化会館参与などを務めた。 戦後は結核に罹患し、貧困にも苦しむが再起し、1963年には親戚の女性の話をもとにした初の小説『女のいくさ』を刊行、直木賞を受賞。当時64歳という最高齢での受賞であり、「老人の新人」出現として話題をよんだ[1](のち、記録は古川薫の65歳での受賞に破られる)。また『女のいくさ』は直木賞作品で初めてベストセラートップ10となった。これは髪結いとして成功しながらも、売れない台本作者と結婚し、その夫に裏切られてしまう女性の、明治初期から現代までの歴史を描いた作品[1]。しかし作家としては翌年二つの短編を発表したに終わった。鈴木彦次郎は同郷同学の友人、また川端康成は高等学校時代の同級生で「女のいくさ」刊行時に推薦文を寄せている。
目次
1 経歴
2 著書
3 伝記
4 脚注
経歴
著書
『日本的教養の根拠 日本地人論』刀江書院、1936
『仏教の日本的展開』岩波書店、1936
『道元と現代学生』矢の倉書店、1940
『国民的教養の出発 日本地人論』那珂書店、1942 (1936年の『日本的教養の根拠』の改題新装版)
『日本の学校』(英語)大東亜出版、1944
『女のいくさ』二見書房、1963年
伝記
佐藤秀昭『教学の山河 佐藤得二の生涯』金ケ崎町、1999
脚注^ a b c 日本近代文学館編『日本近代文学大事典』第二巻、p125、講談社、1977年11月
表
話
編
1930年代 - 1950年代(第1回 - 第42回)
1930年代
第1回 川口松太郎「鶴八鶴次郎」「風流深川唄」「明治一代女」
第2回 鷲尾雨工『吉野朝太平記』他
第3回 海音寺潮五郎「天正女合戦」「武道傳來記」
第4回 木々高太郎『人生の阿呆』他
第5回 該当作品なし
第6回 井伏鱒二『ジョン萬次郎漂流記』他
第7回 橘外男「ナリン殿下への回想」
第8回 大池唯雄「兜首」「秋田口の兄弟」
第9回 該当作品なし
第10回 該当作品なし
1940年代
第11回 堤千代「小指」他/河内仙介「軍事郵便」
第12回 村上元三「上総風土記」他
第13回 木村荘十「雲南守備兵」
第14回 該当作品なし
第15回 該当作品なし
第16回 田岡典夫「強情いちご」他/神崎武雄「寛容」他
第17回 山本周五郎「日本婦道記」(受賞辞退)
第18回 森荘已池「山畠」「蛾と笹舟」
第19回 岡田誠三「ニューギニヤ山岳戦」
第20回 該当作品なし
第21回 富田常雄「面」「刺青」他
第22回 山田克郎「海の廃園」
1950年代
第23回 今日出海「天皇の帽子」/小山いと子「執行猶予」