佐藤大
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この項目では、日本の脚本家について説明しています。

吉本興業所属のグランジのメンバーについては「グランジ (お笑いトリオ)」をご覧ください。

元サッカー選手については「佐藤大 (サッカー選手)(英語版)」をご覧ください。

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さとう だい佐藤 大

プロフィール
誕生日1969年??月??日
出身地 日本埼玉県
出身校東放学園
活動期間1997年 -
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佐藤 大(さとう だい、1969年 - )は、日本の男性脚本家音楽家埼玉県出身[1]
来歴

深夜ラジオハガキ職人だったころに放送作家への憧れを抱いたのが物書きとしての原点と語る[2]東放学園に在学していた19歳の時に、特別講師として同校を訪れた秋元康と知り合い、彼が主宰するソールド・アウトと契約[3]。放送作家を経て、沢田研二の「この僕が消える時」で念願だった作詞家としてデビューする[3]。その後も近藤真彦や『ドラゴンボールZ』劇場版主題歌を手掛けるなど、すぐに作詞家として成功[3]。21歳頃にソールド・アウトから離れる[3][4]。作詞家として得た報酬で海外を遊び回るうちにイギリスでクラブカルチャーと出会い、多大なる刺激を受ける[3][4]

1992年、クラブ文化とゲーム文化を結びつけたイベント「東京ゲーマーズナイトグルーヴ」(TGNG)をオーガナイズ[5][3]。マンガ、アニメ、ゲームなどのいわゆるオタク的文化とクラブシーンとの二つのサブカルチャーの架け橋的な活動を行った。イベントを訪れた田尻智(のちに『ポケットモンスター』を開発)との出会いをきっかけに、一時期ゲームフリークに在籍[3]、ゲームソフト『パルスマン』の広告宣伝に携わる[3]砂原良徳と組んだテクノユニット「ステレオタイプ」では、方法論としてテクノを中心に据えているが、それだけにとらわれない小林亜星影山ヒロノブなど様々なジャンルのクリエイターとのコラボレーションを目的としていた。『パルスマン』のアレンジアルバムも同ユニット名義でリリースされた[3]

1993年、渡辺健吾(KEN=GO→)と共にテクノレーベル「フロッグマンレコーズ」設立。のちに佐藤が在籍する企画会社「フロッグネーション」は同レーベルから発展する形で設立された[6]。2007年8月をもってフロッグネーションを退任し、脚本制作会社「ストーリーライダーズ」を立ち上げる。

1997年、『永久家族』でアニメ脚本家デビュー[1]。その後『カウボーイビバップ』、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』などの脚本を経て、2005年の『交響詩篇エウレカセブン』にて初めてシリーズ構成を手掛ける。同作はもともとオリジナルのロボットゲームとして企画が立ち上がり、それが膨らみアニメ作品となったが、佐藤はそのゲーム企画の時点からシナリオライターとして関わっていた[6]。2013年のテレビドラマ『ノーコン・キッド ?ぼくらのゲーム史?』では原案・シリーズ構成を手掛ける。2023年には田尻が開発した『ポケットモンスター』を原作とした新作テレビアニメでシリーズ構成を担当する[7]
その他

2007年11月より、自身がナビゲーターを務めるpodcast番組『FLOOR net podcast 佐藤大のプラマイゼロ』が不定期配信され、彼の価値観を知ることの出来る貴重なメディアとなっている。
作品リスト
アニメーション
1995年


マクロスプラス(挿入歌作詞)

1997年


永久家族(脚本)

1998年


カウボーイビバップ(舞台設定、脚本)

2000年


AMON デビルマン黙示録(脚本協力)

2002年


攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(脚本)

2003年


WOLF'S RAIN(脚本)

2004年


攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG(脚本)

サムライチャンプルー(脚本)

絢爛舞踏祭 ザ・マーズ・デイブレイク(脚本)

2005年


交響詩篇エウレカセブン(シリーズ構成、脚本)

2006年


Ergo Proxy(チーフライター、脚本)

FREEDOM(シリーズ構成、脚本)

2007年


地球へ…(脚本)

マクロスF(挿入歌作詞)

2008年


バトルスピリッツ 少年突破バシン(シリーズ構成、脚本)

2009年


東のエデン(脚本)

2010年


Halo Legends(脚本)

2011年


鉄拳 BLOOD VENGEANCE(脚本)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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