その他の「さとうまこと」の同名の人物については「Wikipedia:索引 さとう#さとうま」をご覧ください。
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さとう まこと
佐藤 允
国際情報社『映画情報』第27巻11号(1962)より
生年月日 (1934-03-18) 1934年3月18日
没年月日 (2012-12-06) 2012年12月6日(78歳没)
出生地 日本 佐賀県神埼郡神埼町(現:神埼市)
身長173 cm
職業俳優
ジャンル映画・テレビドラマ・演劇
活動期間1956年 - 2008年
配偶者あり
著名な家族佐藤闘介(息子)
主な作品
テレビドラマ
『遊撃戦』
『狼・無頼控』
『夜明けの刑事』
『部長刑事』
映画
『独立愚連隊』
『地獄拳シリーズ』
『トラック野郎 御意見無用』
『沖縄10年戦争』
『転校生』
『二百三高地』
『うなぎ』
佐藤 允(さとう まこと[出典 1]、(1934年〈昭和9年〉3月18日[1][3] - 2012年〈平成24年〉12月6日[3])は、日本の俳優。佐賀県[1][3]神埼郡神埼町(現:神埼市)出身。身長173cm、体重71kg。日本大学第三高等学校卒業。息子は映画監督の佐藤闘介。
来歴・人物1961年頃
4歳の頃に父が戦死し、教員の母の手一つで育てられた。なお佐藤の父親は生前、陸軍の久留米連隊に所属しており、後年に役者として軍人を演じる際は幼少期に見た父親の立ち居振る舞いが大いに影響されているとのこと[4]。
高校卒業後、1953年に俳優座養成所に第4期生として入団[3]。同期には宇津井健・佐藤慶[3]・仲代達矢[3]・中谷一郎らがいる。なお、佐藤、仲代、中谷の3人は、後年に岡本喜八の「喜八一家(ファミリー)」の一員と見なされた。
劇団のユニット出演で『坊っちゃん』や『思春の泉』に佐藤 充名義で出演した後、映画監督の谷口千吉からプロデューサーの藤本真澄を紹介されて、1956年に東宝へ入社[1][4]。同年に『不良少年』で映画デビューする[3]。紹介した谷口の「人相が悪い」との言葉通り[4]、日本人離れしたアクの強い風貌ゆえに入社間もない頃は凶悪犯やチンピラなどの悪役での出演が続いた。
1958年、『俺にまかせろ』で初主演。
1959年、『独立愚連隊』に主演して一躍脚光を浴び[1]、会社からは佐藤・夏木陽介・瀬木俊一の3人組で「スリーガイズ」として売り出されたが[1]、瀬木が間もなく引退したため、自然消滅した。以後、夏木と、新しく入社してきた加山雄三とのトリオでの出演が増加する。二枚目だった夏木と加山は当時ライバル同士であり、二人が争う時は自称三枚目の佐藤がいつも宥めていたという[4]。佐藤本人は後述する岡本喜八監督による独立愚連隊シリーズのような戦時中の兵隊の役が自分に一番合っていたと述懐している[4]。なお初の陸軍軍人役は前述した1959年の『独立愚連隊』で、初の海軍軍人役は1960年の『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』である[4]。
1963年の『太平洋の翼』では三四三航空隊の司令だった源田実に直接面会して操縦方法や知識を教わって役作りに活かしたが、後に佐藤は1968年の『連合艦隊司令長官 山本五十六』にて源田を演じている[4]。
1966年の『ゼロ・ファイター 大空戦』では特撮担当だった円谷英二と一緒に仕事をするも、役者相手に演技指導までする円谷に「本編の監督でもないのに……」と納得が行かなかったが、円谷の飛行機好きを知ってようやく納得できたそうである[4]。
東宝退社後、1970年代は千葉真一主演作品の助演や、1972年のサントリー・ビールや紳士服の一色のCMにも出演。岡本とは仲違いがあり、1967年を最後に出演が絶えていた。1978年のキネマ旬報誌インタビュー「にっぽん個性派時代」で、ファンのためにもぜひ仲直りを、と勧められて前向きなところも見せた。その後、岡本の遺作となった『助太刀屋助六』に友情出演し、息子の佐藤闘介が同作にスタッフとして参加するなど、和解は実現している。
1980年には『二百三高地』にて徴兵のために釈放されたヤクザの牛若寅太郎役で出演。極寒の地、大連(通称:203高地)で上半身裸で敵兵に刺青を見せつけながら黒田節を謡い、ウォッカを呑み干すシーンを好演する。
若い頃はリチャード・ウィドマークに似ているとされ、「和製ウィドマーク」と言われたが、中年になった1970年代頃からはチャールズ・ブロンソンに似ていると言われ始め、「和製ブロンソン」と形容される[3]。なおブロンソンを起用したマンダムのCMを撮った大林宣彦からも東宝撮影所で会った際に似ていると言われたとのこと[4]。また1970年代当時、プロ野球は阪急ブレーブスファンで、その関係から週刊ベースボール1972年8月14日号の「ファン対談」の企画で当時の阪急所属選手の福本豊と対談している[5]。
2008年発売のVシネマ『哀憑歌?GUN-KYU?』を最後に俳優業を引退し、その後はトークイベントなどに出演していた[6]。
2012年2月14日に川崎市内の自宅近くで転倒し外傷性クモ膜下出血と診断され入院、同年12月6日、急性肺炎のため死去した。78歳没[6][7]。
出演作品
映画『独立愚連隊』(1959年)『暗黒街全滅作戦』(1965年)
坊っちゃん(1953年) - 生徒
健児の塔(1953年) - 喜屋武
思春の泉(1953年) - 村の若い衆
勲章(1954年)
不良少年(1956年) - 一郎
日蝕の夏(1956年) - 武田
大安吉日(1957年) - 有紀の書生
嵐の中の男(1957年) - 松下五郎
三十六人の乗客(1957年) - 近藤
月と接吻(1957年) - 男優
最後の脱走(1957年) - とみ子を襲う八路兵
東北の神武たち(1957年) - 熊んばちズンム
脱獄囚(1957年) - 山下亮介
遙かなる男(1957年) - 黒田
結婚のすべて(1958年) - ケンカをしているアベックの男
俺にまかせろ(1958年) - 栗原英一部長刑事
美女と液体人間(1958年) - 内田[出典 2]
若い獣(1958年) - 森山新吾
奴が殺人者だ(1958年) - 直さんこと石原
青春白書 大人には分からない(1958年) - 園田次郎
密告者は誰か(1958年) - 刑事
若旦那は三代目(1958年) - 正
隠し砦の三悪人(1958年) - 火祭の村人
暗黒街シリーズ
暗黒街の顔役(1959年) - 五郎
暗黒街の対決(1960年) - 弥太(小塚組)
暗黒街の弾痕(1961年) - 須藤健
暗黒街撃滅命令(1961年) - 由利浩
暗黒街の牙(1962年) - 津田武志
暗黒街全滅作戦(1965年) - 兵堂五郎
手錠をかけろ(1959年) - 進藤三郎
野獣死すべし(1959年) - 三田
大学の28人衆(1959年) - 石川松吉
檻の中の野郎たち(1959年)
愚連隊シリーズ
独立愚連隊(1959年) - 荒木従軍記者
独立愚連隊西へ(1960年) - 戸川軍曹
どぶ鼠作戦(1962年) - 白虎
やま猫作戦(1962年) - 一色中尉
のら犬作戦(1963年) - 雪旭斉勝々
蟻地獄作戦(1964年) - 栗山軍曹
爆笑水戸黄門漫遊記(1959年) - 佐々木助三郎
侍とお姐ちゃん(1960年) - 加藤清
現代サラリーマン 恋愛武士道(1960年) - 川島茂夫
僕は独身社員(1960年) - 関友一郎
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年) - 松浦中尉[8]
お姐ちゃんに任しとキ!(1960年) - 八田利也
大学の山賊たち(1960年) - 胃袋
大空の野郎ども(1960年) - 磯部
情無用の罠(1961年) - 二宮三郎
青い夜霧の挑戦状(1961年) - 田代
東から来た男(1961年) - 上杉
守屋浩の三度笠シリーズ
守屋浩の三度笠シリーズ 泣きとうござんす(1961年) - 寺恩右衛門
守屋浩の三度笠シリーズ 有難や三度笠(1961年) - 清水の長五郎
紅の海(1961年) - 高梨松雄
真紅の男(1961年) - 勝田隆
野盗風の中を走る(1961年) - はやての弥藤太
紅の空(1962年) - 木賊大助
吼えろ脱獄囚(1962年) - 大木竜介
忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年) - 不破数右衛門
太平洋の翼(1963年) - 矢野大尉[8][2]