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さとう あつひろ
佐藤 アツヒロ
本名佐藤 敦啓
生年月日 (1973-08-30) 1973年8月30日(50歳)
出生地神奈川県藤沢市
身長168 cm[1]
職業俳優、タレント
ジャンル舞台・テレビドラマ
活動期間1986年 -
活動内容1987年: 光GENJI
事務所ジャニーズ事務所(1986年 - 2023年)
SMILE-UP.(2023年 - 2024年)
STARTO ENTERTAINMENT(2024年 - )
公式サイトSTARTO ENTERTAINMENT > 佐藤アツヒロ > Profile
佐藤アツヒロ official Instagram
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佐藤 アツヒロ(さとう あつひろ、1973年8月30日[2] - )は、日本の俳優、歌手、タレントであり、男性アイドルグループ・光GENJIの元メンバー。デビュー当時の芸名は佐藤敦啓。舞台を中心に活動中で、2022年にスケーターユニット「U&S」を結成した。愛称はアッくん。神奈川県出身。STARTO ENTERTAINMENT所属[3]。 1987年8月19日「光GENJI」として「STAR LIGHT」でレコードデビューした[4]。1993年4月22日には、「SAY'S(セイズ)」として「曇りのち晴れ」でCDデビュー。 1994年8月31日、光GENJIから大沢樹生・佐藤寛之が脱退し、残りのメンバー5人でユニット名を「光GENJI SUPER 5」へ変更した。同時に「SAY'S」も解散となった。1995年9月3日に光GENJI SUPER 5が解散した。同年12月21日、ワーナーミュージック・ジャパンにて「RISKY LOVE」でソロCDデビューを果たした。その際の名義は「アツヒロサトウ」で、ソロデビュー時のキャッチフレーズは「歌うしか愛せない」であった。その後、初のソロアルバム「eyes」を発表した。作詞活動も積極的に行い、「YELLOW」「BUTTER CUP, MYRTLE」(この時に、芸名を佐藤敦啓に戻した)、さらには1998年、「BRAND NEW HEART」(ここで、佐藤アツヒロに改名)で、初めてソロシングル曲の作詞を行った。同年10月「クリスマスキス?イブに逢いましょう」で、連続ドラマに初出演した。 1996年、自らの詩をのせた初写真集「eyes collection」を発表した。これは、人気雑誌連載をまとめ、さらなる海外ロケ作品も含んだものであった。同年、自ら撮影した写真と詩で構成される、初の写真詩集「ALTERNATIVE」を発売した。こちらも雑誌連載をまとめた上で、ロンドンでロケを行い、のちに山野楽器・銀座本店にて写真展も開催(12月10日 - 26日)した。 1997年、「世界ウルルン滞在記」スペシャル回にて、ムエタイ修行の模様が放送された。実際にタイへ1か月弱行き、現地生活をし、最後は試合まで挑み、話題となった。同年、一条ゆかりの人気漫画「砂の城」を原作とした昼ドラにて、連続ドラマで初主演した。 2000年に、鴻上尚史の舞台「ララバイまたは百年の子守唄?ハッシャバイより?」にて初舞台を踏み、二作品目「犬夜叉」(いのうえひでのり演出)で初主演を務めた。以降、「七芒星」「髑髏城の七人?アオドクロ」と、劇団☆新感線の作品に出演を続けた。また、2004年には、鈴木勝秀と「LYNX」で出会い、「MYTH」「HYMNS」等を発表し、主な活動の場を演劇界に移した。2006年、つかこうへい演出の「蒲田行進曲」にも出演するなど、数々の作品に関わっている。 2012年「PLAYZONE '12 SONG & DANC'N。PART II。」(トラヴィス・ペインが振付・構成)に出演し、ローラースケートを披露した。 2015年「ナカイの窓」ゴールデンスペシャルにて、約15年振りに地上波バラエティに出演し、変わらぬローラースケートの滑りを披露した。 2018年には「SaGa THE STAGE ?七英雄の帰還?」で、演出家デビューした。2023年現在までに、計3作品を生み出している。 2022年、光GENJIの元リーダー・内海光司とユニット「U&S」を結成し、ローラースケートでのアーティスト活動を開始した。 この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2023年5月)
略歴
人物
光GENJIの中では最年少メンバーであった。オーディションを受けることなく、特待生として入所した。
光GENJIとしてアイドル活動を行う一方、高校2年生の夏から作詞も始めており、ソロ曲やソロ活動中の持ち歌はほとんどが自作である。
SMAPの中居正広、木村拓哉とは、歳が近いこともあり、プライベートでも仲が良い(中居とは、同じ藤沢出身である。なお、自身は生後1か月から京都府八幡市に住み、小学校3年生の2学期頃、神奈川県藤沢市へ転居した)。TOKIOの松岡昌宏、KinKi Kidsの堂本剛は、佐藤敦啓に憧れて事務所に入っている。特に堂本剛からは、憧れの先輩としてかなり慕われている。2004年には作詞依頼があり、アルバム『[si?]』に収録された「誰かさん」で楽曲提供した。
自らが中心となり、ジャニーズ事務所内の後輩と非公式のプライベートサークルNO BORDERを結成した。サークル名は、当時の日清食品のCM
ソロデビュー後のライブで使用する楽器は、ギターとブルースハープが中心であった。
演劇を続ける中で、数々の名だたる演出家と出会う。2002年「室温?夜の音楽?」では、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、2003年「天使は瞳を閉じて」で、初舞台以来、鴻上尚史と再び組み、2004年には「LYNX」で鈴木勝秀と出会い、のちに「MYTH」「HYMNS」を上演。なお、2019年に11年ぶりに「hymns」として再演された。他に、鈴木勝秀演出では「フロスト/ニクソン」「YARNS」などもある。その翌年「いとこ同士」では、坂手洋二(燐光群)とも出会う。2006年に「蒲田行進曲」で、作・演出のつかこうへいと組み、中村屋喜三郎の役を演じた。以来、福島三郎、G2、鈴木裕美、西川信廣、野坂 実、森新太郎、西森英行、一色隆司、藤井清美、ウォーリー木下、田村孝裕、横内謙介などと共に、ジャンルを問わず、様々な作品作りに挑んでいる。
また、2018年「SaGa THE STAGE ?七英雄の帰還?」では初演出、主演も務めた。2021年「楽屋ー流れ去るものはやがてなつかしきー」では、過去の同じ作品の出演経験をいかし、2回目の演出を手がけることになった。さらに、2022年には、原案、構成、演出として関わった初のオリジナル作品「告白」が上演された。
2003?2004年の嵐の年越しコンサートで「スーパーバイザー」を務める。また、2012年以降、ローラースケートの練習を続けており、度々テレビ番組などで披露している[5][6][7]。