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佐藤 あつし
本名佐藤 淳
生年月日 (1965-02-09) 1965年2月9日(59歳)
出身地 日本 東京都
血液型AB
身長160cm
言語日本語
方言東京弁
最終学歴修徳高等学校
芸風コント
事務所佐藤企画
活動時期1970年代頃 -
過去の代表番組ドキド欽ちゃんスピリッツ
受賞歴
「爆笑アイドル誕生!渋谷発!お笑い宇宙計画
佐藤 あつし(さとう あつし、1965年2月9日 - )は、日本のコメディアン、歌手。本名、佐藤 淳(読み同じ)。
芸名の変遷:奈津あつし(なつあつし)→なつあつし→佐藤あつし 少年時代より、奈津あつしの芸名で子役として活躍。1970年代中頃に放送された『マチャアキのガンバレ9時まで!!』に出演していた。修徳高等学校時代は、劇団ひまわり高等部に所属。1984年に自身含む高等部の13人で路上パフォーマンスグループ「時代錯誤」を結成。 当時流行していた「劇男一世風靡」のフォロワー的に、原宿の歩行者天国を中心に活動を始め、ルイードなどのライブハウスにも進出。 1985年にキャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)から『幸運序曲?大福星のテーマ?』(映画『香港発活劇エクスプレス 大福星』主題歌)で歌手としてメジャーデビュー。 その後はメンバー個々のTV出演、雑誌、ライブ活動に並行して行くが、1986年10月開始の萩本欽一が司会を務める番組『ドキド欽ちゃんスピリッツ』(TBSテレビ)にあつしが出演する頃にはメンバーが4人ほどまで減っており、グループとしての活動はここで終了となる。 元々芸人志望で、高校に行くより浅草のストリップ劇場で修行をしたいと考えていたあつしは、番組内で小柄ながらスピード感溢れるキレのある動きで人気者となる。当時忍者[1]の中村亘利、正木慎也と番組内での少年隊のパロディコントでユニット『おめで隊』を結成(当時、浅井企画に所属していた)。1987年『悲しきエクササイズ』でレコードデビューも果たす。同年3月の打ち切りとともに解散。 1989年に、時代錯誤メンバーだった河田貴一、伊勢浩二(後のBOOMER)と3人でコントグループ『AKIKO』を結成(当時の芸名「なつあつし」)。お笑いブーム(お笑い第三世代)の最中、最後発組ながらコンテストやトーナメントで次々優勝を飾り、1991年に第6回NHK新人演芸大賞優秀賞を受賞。ブレイク寸前と注目され「第2のB21スペシャル」とも呼ばれるが、事務所のトラブルやメンバー間の軋轢などもあり、1992年春頃に解散。 その後萩本が率いる欽ちゃん劇団に入り、浅草の「ロックンロック 現在は、喜劇役者として舞台を中心に活動している。現在はさとうあつし名義でちょんまげワールド伊勢での活動が中心。 舞台活動の一方、2005年に事務所先輩である萩本の結成した社会人野球チーム茨城ゴールデンゴールズ(以下、GG)へ参加。マスコットという肩書で非公式試合に、萩本のマイクパフォーマンスの相方として活躍している(二塁手として出場したこともある)。なお、2007年までは胸・背中にスポンサーである人材派遣会社「シーケル
来歴・人物
ソロ活動 - AKIKO時代
テレビから舞台中心へ
茨城ゴールデンゴールズ