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さたけ あきお
佐秩B明夫
本名中山 賢雄(なかやま としお)
別名義片桐 余四郎
生年月日 (1926-01-27) 1926年1月27日
没年月日 (2009-02-26) 2009年2月26日(83歳没)
出生地 日本 東京都豊多摩郡戸塚町
(後の東京市淀橋区、現・東京都新宿区)
死没地 日本 神奈川県川崎市
血液型O型
ジャンル俳優
活動期間1951年 - 2009年
活動内容映画、テレビドラマ、舞台
著名な家族娘:中山圭以子
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佐秩B明夫(さたけ あきお、1926年1月27日 - 2009年2月26日)は、日本の俳優。本名は中山 賢雄(なかやま としお)。東京都豊多摩郡戸塚町出身。最終所属はエ・ネスト。娘は歌手の中山圭以子。 早稲田大学理工学部建築科卒業後、三菱電機大船工場に勤務していたが、バスの中で谷口千吉監督にスカウトされ、1951年東宝に入社し、映画『死の断崖』で俳優デビュー。当時の芸名は片桐余四郎。その後、演技の勉強をし直すため劇団俳優座養成所に第2期生として入団。同期には土屋嘉男、小林昭二、滝田裕介、横森久などがいる。 劇団俳優座、松竹を経てフリーになり、以後は時代劇などテレビドラマを中心に活躍。特にゲスト主役として、父親役・大店の実直な老主人役・殿様役・家老役などがはまり役であった。テレビ時代劇『水戸黄門』には外伝を含め32回ゲスト出演している。1970年代のアクション系作品では知性派の悪役としても個性を発揮した。 外野の会
人物
1985年には大阪府吹田市に「 ⇒劇団スタジオQ」を旗揚げし、主宰となる。以降、東京?大阪間を行き来しながら、子供向けミュージカル等の演出を手がけ、劇団員の育成に携わっていた。
2009年2月26日午前5時13分、剥離性大動脈破裂により川崎市の病院で逝去[1]。83歳没。
出演
テレビドラマ
愛と死をみつめて(1959年、NHK)
文芸劇場 / 兄いもうと(1960年、NET)
検事(1961年 - 1963年、KTV)
松本清張シリーズ・黒の組曲 第5話「鴉」(1962年、NHK)
日本映画名作ドラマ / 張込み(1963年、NET)
たまゆら(1965年 - 1966年、NHK)
特別機動捜査隊(NET / 東映)
第172話「寒い道」(1965年)
第342話「女と宝石」(1968年) - 藤本
第446話「お米のブルース」(1970年) - 秀人、直樹※二役
第786話「女子高生と野獣」(1976年) - 久米山修輔
ザ・ガードマン(TBS / 大映テレビ室)
第3話「黒いアスファルト」(1965年)
第61話「ダイヤモンドの歌が聞える」(1966年)
第75話「殺人者の館」(1966年)
第123話「現代牡丹灯籠」(1967年)
第257話「空から来た殺人部隊」(1970年) 他