日本の政治家佐秩B敬久さたけ のりひさ
内閣府地方創生推進室より
公表された肖像
生年月日 (1947-11-15) 1947年11月15日(76歳)
出生地 日本 秋田県仙北市
出身校東北大学工学部精密工学科卒業
前職地方公務員(秋田県庁)
所属政党無所属
称号工学士
公式サイト佐竹のりひさ 公式Webサイト
佐秩B敬久(さたけ のりひさ、1947年(昭和22年)11月15日[3] - )は、日本の政治家。秋田県知事(公選第17・18・19・20代)。
秋田市長(第17代)[1]、全国市長会会長(第27代)[2]などを歴任。佐竹北家の末裔で21代目にあたる[4]。秋田県仙北郡角館町(現在の仙北市)出身。曾祖父の佐竹義尚 (北家)は男爵に列しており、華族の家柄である。
経歴秋田県立野球場にて(2013年7月18日)東北中央自動車道院内道路開通式にて(2016年11月5日)
秋田県仙北郡角館町[4](現:仙北市)に生まれる。1966年(昭和41年)3月、地元の秋田県立角館高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、東北大学工学部[4]精密工学科卒業。1972年(昭和47年)3月、秋田県庁に入庁して県庁職員(地方公務員)として勤務した。商工部門、総務部次長を歴任した。県庁を退職して1997年(平成9年)の秋田県知事選挙に立候補するも落選した。同年12月に秋田県の地域経済研究会を設立した。
2001年(平成13年)7月、秋田市長選挙に立候補、初当選した。2005年(平成17年)に再選[5]。市長当選後、秋田県市長会会長、全国市長会副会長、全国市長会財政委員長、政府税制調査会委員、全国市長会会長などを歴任する。
2009年(平成21年)2月23日、市長の任期を約5か月残して「一身上の理由」で辞職願を提出し、翌24日の市議会にて全会一致で承認され、辞職した。全国市長会会長職もこれに伴って失職となり、当面は後継を置かずに副会長9名が職務を分掌する形を取った。
その後、自民・社民県連などの支持を得て秋田県知事選挙(2009年4月12日投開票)に出馬し、民主県連などの支持を受けた川口博などを破り、初当選を果たした[6][7]。
2013年には2期目を目指して出馬を表明し、3月21日の選挙告示日に立候補手続きを行うも、対立候補が現れずに無投票での再選となった[8]。
2017年4月9日に投開票が行われた知事選では、公明党・社民・自民県連から支持を受け、無所属の前知事寺田典城、日本共産党公認の同党県副委員長山内梅良を破り、3選を決めた[9](投票率は56.83%)。
2021年4月4日に投開票が行われた知事選では自民党県連・公明党県本部などから支持を受け、元衆議院議員の村岡敏英ら3候補を破り、4選を決めた。