佐知川
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■佐知川
大字
金山神社
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度54分8.9秒 東経139度35分17.79秒 / 北緯35.902472度 東経139.5882750度 / 35.902472; 139.5882750
日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
西区
地域大宮地区
人口(2019年平成31年)1月1日時点)[1]
 ? 合計2,145人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号331-0064[2]
市外局番048[3]
ナンバープレート大宮
座標の場所は佐知川下自治会館

佐知川(さじかわ[4]、さぢかわ[1])は、埼玉県さいたま市西区大字郵便番号は331-0064[2]
地理

さいたま市西区中央部の、北部は大宮台地の指扇支台の南端部に位置され、南部は古入間川[5]が乱流したことで作り出した沖積平野(荒川低地)やその自然堤防上に位置する[6]。地区の南端を新川が流れ下る。東側で大宮区三橋や西区大字水判土に、南側で大字飯田や大字二ツ宮に、西側で大字西遊馬に、北側でプラザや大字指扇に隣接する。土地利用としては水田が多かったが、その後住宅団地の建設より宅地化が進み[4]、全体的には主に住宅地などであるが、一部で農地も見られ、南西側の新川の流域沿いには水田も見られる。県道沿いには古くからの民家が多く見られる[4]

地内の台地上に植水古墳群に属する古墳のひとつである原稲荷古墳[4]がある。
地価

住宅地の地価は、2019年平成31年)1月1日の都道府県地価調査によれば、大字佐知川字前1374-6の地点で9万8000円/m2、大字佐知川字原228-56の地点で10万8000円/m2となっている[7]
歴史

もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡植田谷領に属する佐知川村で、古くは水判土荘に属していたと云われている[8]。さらに古くは室町期より見出せる足立郡のうちの佐地川であった[8]。佐知川は佐地川とも記す[6]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では257余(田13町7反余、畑34町余)、『元禄郷帳』では465石、『天保郷帳』によると462石余であった。助郷中山道大宮宿に出役していたが、正徳安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた。化政期の戸数は96軒で[8]、村域は古来より上組と下組に二分され名主が両組に置かれていていたが[6]、村の規模は不明。地名は地形に因むものであり、サジは傾斜地を意味し、カワは縁辺を意味する[6]。地内に普光山慈眼寺末の覚音院と覚蔵院があり[8]、覚音院には明和年間、覚蔵院には安政年間に寺子屋が開設されていた[6]

初めは幕府領、以降変遷なし[6]検地1690年元禄3年)に実施[8]。荒川沿いの飛地に八貫野新田が開拓され、検地は1731年享保16年)に実施[6]

1828年文政11年)より大宮宿寄場55か村組合に所属していた[6]

幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、幕府領(代官・大竹左馬太郎支配所)であった[9]

1868年慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。

1869年明治2年)

1月13日 - 武蔵知県事・宮原忠英の管轄区域に大宮県を設置、同県の管轄となる。県庁は東京府馬喰町に置かれる。

9月29日 - 県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。


1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。

1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、佐知川村は北足立郡植田谷本村・水判土村・中野林村・飯田村・島根村・三条町村と合併し、植水村となる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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