佐用郡(さよぐん、さようぐん)は、兵庫県(播磨国)の郡。1896年に岡山県(美作国)吉野郡の一部を編入している。
人口14,464人、面積307.44km²、人口密度47人/km²。(2024年5月1日、推計人口)
以下の1町を含む。 1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、佐用町の大部分(大酒・小赤松・漆野・西下野・下三河・中三河・上三河・河崎・船越・奥海・若州・上石井・下石井・水根・桑野・海内・東中山を除く)にあたる。 元来は「さよぐん」であったが、1955年(昭和30年)3月1日の合併で佐用町が「さようちょう」と称したことから、「さようぐん」と読まれることも多くなっている[1]。 知行村数村名
佐用町(さようちょう)
郡域
歴史
近世以降の沿革
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。○は村内に寺社除地[2]が存在。幕府領は龍野藩預地。(87村)
幕府領幕府領16村下櫛田村、宝蔵寺村、久保村、三原村、弦谷村、廣山村、才元村、平尾村、来見村、田和村、金子村、桜山村、植木谷村、西河内村、仁方村、豊福村
旗本領19村口金近村、奥金近村、円応寺村、佐用村、長尾村、平谷村、末包村、大畠村、淀村、福沢村、○本位田村、宗行村、横坂村、口長谷村、奥長谷村、平福村、正吉村、庵村、友延村
藩領播磨三日月藩40村西新宿村、大日山村、小日山村、西大畠村、須安村、宇根村、金屋村、力万村、寄延村、目高村、上秋里村、下秋里村、上月村、久崎村、家内村、奥多賀村、口多賀村、安川村、大畑村、大下村、三日月村、上本郷村、下本郷村、真宗村、志文村、春哉村、乃井野村、東新宿村、島脇村、土井村、米田村、小山村、中島村、林崎村、下徳久村、西徳久村、東徳久村、平松村、真盛村、山脇村
播磨安志藩10村仁位村、円光寺村、上櫛田村、三尾村、早瀬村、中山村、蔵垣内村、大垣内村、本郷村、皆田村[3]
幕府領・藩領旗本領・播磨龍野藩1村大猪伏村
旗本領・安志藩1村山田村
明治2年(1869年) - 旗本領が兵庫県の管轄となる。
明治3年(1870年)11月 - 兵庫県の管轄地域が生野県の管轄となる。
明治4年
3月 - 龍野藩預地が生野県の管轄となる。
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が三日月県、安志県の管轄となる。
11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により、全域が姫路県の管轄となる。
11月9日(1871年12月20日) - 飾磨県の管轄となる。
明治8年(1875年)(81村)
才元村・金子村が合併して才金村となる。
平尾村・蔵垣内村が合併して福吉村となる。
来見村・田和村が合併して福中村となる。
植木谷村・大猪伏村が合併して大木谷村となる。
奥多賀村・口多賀村が合併して多賀村となる。
平谷村が豊福村に合併。
明治9年(1876年)(78村)
8月21日 - 第2次府県統合により兵庫県の管轄となる。
久保村・東新宿村・島脇村が合併して末廣村となる。
下櫛田村・上櫛田村が合併して櫛田村となる。
明治12年(1879年)1月8日 - 郡区町村編制法の兵庫県での施行により、行政区画としての佐用郡が発足。郡役所が佐用村に設置。
明治14年(1881年) - 正吉村・友延村が合併して延吉村となる。(77村)
町村制以降の沿革1.佐用村 2.長谷村 3.平福村 4.江川村 5.幕山村 6.西庄村 7.久崎村 8.中安村 9.徳久村 10.大広村 11.三日月村(橙:佐用町)