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さよちょう, さようちょう
佐用町旗
2006年3月31日制定佐用町章
2006年3月31日制定
国 日本
地方近畿地方
都道府県兵庫県
郡佐用郡
市町村コード28501-3
法人番号5000020285013
面積307.44km2
総人口14,464人 [編集]
(推計人口、2024年5月1日)
人口密度47人/km2
隣接自治体宍粟市、たつの市、赤穂郡上郡町
岡山県:備前市、美作市
町の木イチョウ
町の花ヒマワリ
佐用町役場
町長[編集]庵逧典章
所在地〒679-5380
兵庫県佐用郡佐用町佐用2611-1
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度00分15秒 東経134度21分21秒 / 北緯35.00425度 東経134.35575度 / 35.00425; 134.35575座標: 北緯35度00分15秒 東経134度21分21秒 / 北緯35.00425度 東経134.35575度 / 35.00425; 134.35575
役場庁舎位置
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SPring-8とSACLA旧因幡街道平福宿
佐用町(さよちょう, さようちょう)は、兵庫県の南西部に位置し、佐用郡に属する町。人口は県内41自治体中第36位、面積は県内第10位。
本項では町制前の名称である佐用村(さよむら)についても述べる。 出雲街道と因幡街道の交わる位置にあり、千種川水系の佐用川(さよがわ)沿いの盆地に町が形成されているが、町域内の8割は山林が占めている。晩秋から冬にかけての早朝には、しばしば「佐用の朝霧」と呼ばれる霧が立ち込める。 佐用の気候 古代の播磨国佐用郡の地。郡中心部の佐用町本位田甲には延喜式内社・佐用都比売賣(さよつひめ)神社が鎮座する。佐用都比売賣は『播磨国風土記』に登場する神で、別名・玉津日女命(たまつひめのみこと)と言う。玉津が兄である伊和大神(いわのおおかみ)と国の占有を巡って争った際に、鹿の腹を裂いてその血に種を撒き一夜で稲の苗を育て、その一夜苗を五月に植えたところ兄神が「五月夜に植えたな」と言ってその地から去ったことから、苗を植えた地域を「五月夜郡(さつきよのこおり)」と名付け、玉津日女も佐用都比売賣と名を変え農業の神として敬われるようになった[1][2]。『播磨国風土記』には佐用とは五月夜(さよ)の意であると説く。古書においては「さよ」は賛用、狭依、賛容などとも表記された[1]。 なお、佐用は元来「さよ」と読んでいたが、1955年(昭和30年)の合併時に「さよう」に読みを変更している。
地理
河川:千種川
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
降水量 mm (inch)48.3
(1.902)58.5
(2.303)96.8
(3.811)106.6
(4.197)137.1
(5.398)166.0
(6.535)215.3
(8.476)140.0
(5.512)184.6
(7.268)99.7
(3.925)59.0
(2.323)57.9
(2.28)1,369.8
(53.929)
平均降水日数 (?1.0 mm)7.78.710.59.69.911.411.69.410.17.66.57.6110.5
出典:気象庁
隣接している自治体
兵庫県
宍粟市
たつの市
赤穂郡上郡町
岡山県
備前市
美作市
歴史
1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年) - 赤松氏一族の別所敦範が利神山に利神城を築く。
1600年(慶長5年) - 姫路藩主池田輝政の甥の由之により利神城に三層の天守閣と、平福の町並みの原型となる城下町の建設が開始される。
1609年(慶長14年) - 3万2千石に増加され、由之は備前国下津井城に転出する。
1615年(元和元年) - 輝政の6男池田輝興が兄で岡山藩主の忠継が死去したため、その遺領より佐用郡など2万5千石を分与されて、平福藩が立藩する。
1631年(寛永8年) - 赤穂藩主だった兄の政綱が継嗣無くして死去したために赤穂藩を嗣ぐこととなり、平福藩は廃藩となる。平福には旗本松平康朗が5千石で入り、明治までこの地を治める。
その後山崎藩領、天領等を経る。
1697年(元禄10年) - 三日月藩(別名:乃井野藩)が立藩。1万5千石の城下町として森家9代174年の治世を行う。
1871年8月29日(明治4年7月14日) - 三日月藩を廃止して、三日月県が成立する。
1871年(明治4年)11月2日 - 姫路県(11月9日以降は飾磨県)に統合される。
1876年(明治9年) - 第2次府県統合により兵庫県の所属となる。
1964年(昭和39年)4月1日 - 初代の町章を制定する[3]。
1983年(昭和58年)
5月14日 - 文化センター完成。
6月1日 - 歯科保健センター開設。
1985年(昭和60年)7月22日 - 千種川が全国名水百選に選ばれる。
1988年(昭和63年)6月6日 - 瑠璃寺の不動明王坐像が国の重要文化財に指定される。
1990年(平成2年)- 兵庫県立西はりま天文台公園開園、および兵庫県立西はりま天文台開所。