佐渡汽船
[Wikipedia|▼Menu]

佐渡汽船株式会社
Sado Steam Ship Co., Ltd.

新潟港佐渡汽船ターミナル(2020年9月)
種類株式会社
市場情報東証スタンダード 9176
1968年9月 - 2022年5月6日
本社所在地 日本
952-0014
新潟県佐渡市両津湊353番地
設立1913年2月3日
業種海運業
法人番号2110001027748
事業内容海上運送事業等
代表者代表取締役社長 尾渡英生
資本金1,000万円
(2022年12月31日時点)
発行済株式総数53,693,466株
(2021年12月31日時点)
売上高単体:74億18百万円
連結:100億89百万円
(2022年12月期)
営業利益単体:2億41百万円
連結:4億3百万円
(2022年12月期)
純利益単体:7億48百万円
連結:9億22百万円
(2022年12月期)
純資産単体:8億1百万円
連結:14億78百万円
(2022年12月31日時点)
総資産単体:94億34百万円
連結:120億70百万円
(2022年12月31日時点)
従業員数単体:188人、連結:770人
(2022年12月31日時点)
決算期12月31日
主要株主(株)みちのりホールディングス 85.51%
新潟県 6.76%
佐渡市 2.24%
佐渡農業協同組合 1.44%
(株)第四北越銀行 0.68%
(2022年12月31日時点)
外部リンクhttps://www.sadokisen.co.jp/
テンプレートを表示
2014年時点での新潟県の広域交通網。佐渡と本土を結ぶ3航路のうち赤泊と寺泊を結ぶものは2018年に定期運航を終了した。

佐渡汽船株式会社(さどきせん、: Sado Steam Ship Co.,Ltd. )は、新潟県佐渡市に本社を置く、新潟県本土と佐渡島とを結ぶ定期航路を運航する海運会社。みちのりホールディングスのグループ企業。
概要

1932年、佐渡航路で競合していた商船会社3社を経営安定の見地から、新潟県の資本参画のもと統合して成立した[1]

日本最初第三セクター企業として設立され、現在も新潟県が資本金の10.74%を出資している。ほかの出資企業には新潟交通、佐渡農業協同組合、第四北越銀行なども加わっている。

現在、佐渡汽船は定期便としては新潟航路(新潟港 - 両津港)、直江津航路(直江津港 - 小木港)の2航路を運航し、3隻のカーフェリー、3隻のウォータージェット推進式全没型水中翼船を就航させている。このうち水中翼船・ボーイング929(ジェットフォイル)は1977年、日本で初めて定期航路に就航したもので、後にボーイングから製造・販売のライセンスを取得した川崎重工業(現川重ジェイ・ピイ・エス)にもノウハウを提供している。

海運事業のみならず佐渡島内外の観光開発も行っており、佐渡西三川ゴールドパーク(1990年4月オープン[N 1])や二ツ亀オートキャンプ場(1991年7月オープン[N 2])、はじき野フィールドパーク(1993年オープン[N 3])、佐渡能楽の里(1997年4月オープン[N 4])などの開発に携わったほか、新潟ふるさと村の運営にも関わってきた[N 5]
みちのりHD傘下へ

佐渡汽船は新型コロナウイルスにより利用客が減少したと同時に経営が悪化。2022年2月7日にみちのりホールディングスと第四北越銀行に対して第三者割当増資を行う事を発表[2][3]。同年3月31日に第三者割当増資によりみちのりホールディングスの子会社となった[4][5]。同日に就任した松本順会長は会見で「佐渡汽船の経営を支援し、佐渡と本土間の人流・物流の発展を通じて地域社会の活性化に貢献する」「小木―直江津航路は、出来る限り維持したい。自治体・国からも、適切なご支援をいただきたい」とコメントした他、「新潟交通の路線バスと提携する必要がある」と指摘した上で「協議をぜひ前向きに進めていきたい」とコメントした。同日に就任した尾渡英生社長も「みちのりグループ各社で取り組んだいろいろな経営改善も参考にする。グループ各社との協業も検討課題だ」とコメントした[N 6]

2022年5月6日に東京証券取引所スタンダード市場上場廃止となり[2][N 7]、同年5月10日に実施される株式併合により、株主がみちのりホールディングス、新潟県、佐渡市、佐渡農業協同組合、第四北越銀行のみとなる予定である[6]

運航ダイヤ、航路、運賃はこれまで通り維持されるが、割引運賃や運航ダイヤに関しては見直しを実施する可能性があるという[6]
沿革
設立

1890年代半ば以降、新潟 - 両津間の越佐航路は越佐汽船(1885年設立)のほぼ独占状態となっていたが、収益性の高い本土間の航路に注力していたため佐渡島民からの反発が高まっていた[7]。1913年(大正2年)2月、佐渡商船(資本金15万円)が設立され、「国東丸」や「第二十二永田丸」などが就航し、1914年9月には「第一佐渡丸」が就航した[7]

越佐汽船の保有船に比べて佐渡商船の「第一佐渡丸」は船舶の性能が高かったため(所要時間4時間)、越佐汽船は運賃の値下げで対抗した[7]。両社の競争が激化したため、佐渡出身の県会議員だった野沢卯市は新潟県知事の北川信従に斡旋を要請し、越佐航路で得た収益を合算して使用船舶の総トン数により両社へ配分する共同計算方式(佐渡商船が60%、越佐汽船40%)が成立した[8]。その後、越佐汽船は1918年(大正7年)年に新潟汽船に改称した[8]

両社の共同計算方式は維持されていたが、前佐渡地域での佐渡商船の航路運営への不満から1923年1月に前佐渡汽船(資本金3万円)が設立された[8]。前佐渡汽船は1927年(昭和2年)7月に新たに越佐商船(資本金10万円)を設立した[8]

1927年以降、新潟県議会では佐渡商船、新潟汽船、越佐商船の3社を県営に移管する議論が浮上し、新潟県知事の黒崎真也が県営化のための交渉に入ったが利害関係の調整に難航したため方針を転換して半官半民とすることで決着し、1932年(昭和7年)4月に佐渡商船が他の2社を買収する形で新会社の佐渡汽船が設立された[8]。「佐渡海峡」も参照
年表

1932年4月 - 佐渡商船株式会社が、新潟汽船株式会社、越佐商船株式会社の両社を買収して合併、商号を現社名「佐渡汽船株式会社」に改称[8]

1949年12月 - 既存定期航路事業免許申請により、新潟 - 両津間、小木 - 新潟間、小木 - 直江津間の定期3航路の経営免許が交付され、運用開始。

1950年8月 - 直江津港 - 柏崎港 - 小木港間の定期航路を開設(柏崎寄港は夏期のみ。1955年8月をもって廃止)。

1967年3月 - 佐渡航路初のカーフェリー「さど丸」が新潟 - 両津間で運航開始。

1968年9月 - 株式を店頭登録(後の東京証券取引所ジャスダック市場)。

1972年

カーフェリー「こがね丸」が新潟 - 両津間に就航。

4月 - 両津港に旅客ターミナルビルが完成。


1973年

カーフェリー「おとめ丸」が新潟 - 両津間に就航。

4月 - 新潟 - 赤泊 - 寺泊航路が就航。


1977年5月 - 日本初のウォータージェット推進式水中翼船(ボーイング社製ジェットフォイル)による定期航路が新潟 - 両津間に就航(1号艇「おけさ」)。

1979年4月 - ジェットフォイル2船目の「みかど」(ボーイング社製)が新潟 - 両津間に就航。

1981年7月21日 - 新潟西港・万代島埠頭に旅客ターミナルビルが完成、下大川前の旧ターミナルより機能を移転[N 8]

1983年7月 - 8,000t級(注:国際トン)の大型カーフェリー「こさど丸」が新潟 - 両津間に就航。国内初の車両甲板2段積み可能となり、この「こさど丸」から佐渡汽船カーフェリーの大型化が始まる。カーフェリー「こがね丸」が小木 - 直江津間に就航。

1985年2月 - 小木港に旅客ターミナルビルが完成。

1986年7月 - ジェットフォイル3船目の「ぎんが」(ボーイング社製)が新潟 - 両津間に就航。

1988年

4月 - 日本国内の離島航路初となる10,000t級(国際トン)のカーフェリー「おおさど丸」が新潟 - 両津間に就航。カーフェリー「おとめ丸」が小木 - 直江津間に就航。

6月 - 直江津港に旅客ターミナルビルが完成。


1989年

1月 - 新潟 - 赤泊間の航路を休止、寺泊 - 赤泊間を通年運航に。

4月 - ジェットフォイルの国産1号艇「つばさ」(川崎重工製)が両津航路に就航、ジェット4船体制に。これに伴い、ジェットフォイル「みかど」が小木 - 直江津間に就航(春 - 秋の季節運航)。


1991年4月27日 - ジェットフォイル「すいせい」(川崎重工製)が両津航路に就航[N 9]。これに伴い最古参の「おけさ」が香港(TurboJET)へ売却。

1992年

3月 - 寺泊港に旅客ターミナルビルが完成。

4月 - 1,000t級のカーフェリー「えっさ丸」が寺泊 - 赤泊航路に就航。同航路に就航していた佐渡汽船初のカーフェリー「さど丸」売却。


1993年4月 - 国内の離島航路最大となる12,000t級(国際トン)のカーフェリー「おけさ丸」が新潟 - 両津間に就航。これに伴い、カーフェリー「こさど丸」が小木 - 直江津間に就航。カーフェリー「こがね丸」フィリピンへ売却。

1995年3月 - 9,000t級(国際トン)の大型カーフェリー「こがね丸」が小木 - 直江津間に就航。カーフェリー「おとめ丸」フィリピンへ売却。

1996年8月 - ジェットフォイル「ファルコン」(ボーイング社製・元関西汽船「ジェット8」)が就航、ジェットフォイル5隻体制へ(「ファルコン」は予備船扱い)。

1999年11月 - 九州郵船から予備船を保有する佐渡汽船にジェットフォイル売却の要請があり、「ファルコン」が九州郵船へ売却。ジェットフォイル4隻体制へ戻る。

2000年4月 - 赤泊港に旅客ターミナルビルが完成。

2003年

5月11日 - JR東日本との連絡運輸取扱廃止。

10月31日 - 小木航路のジェットフォイルを廃止、余剰となる一隻のジェットフォイル「みかど」をいわさきコーポレーションに売却。新潟 - 両津間のジェット3船体制に(「すいせい」「つばさ」「ぎんが」)。


2005年

航送費が値上げされる。また前年の新潟県中越地震による観光への打撃対策として社会実験を複数に分けて実施。

6月10日 - 赤泊航路に高速船「あいびす」就航。これに伴い、カーフェリーを廃止。余剰となるカーフェリー「えっさ丸」をいわさきコーポレーションに売却。

11月 - カーフェリー内で予約用の用紙を裏紙として、船内のスタンプ用紙などに転用していたことが発覚。


2006年6月 - 「燃料油価格変動調整金」を導入。旅客130円/片道(ジェットフォイル・カーフェリー・高速船とも)、四輪車850円/片道、二輪車200円/片道の運賃アップとなった。

2007年2月 - カサ増しされたカーフェリーのt数が経営不振のため減t(経費面で不利にもかかわらず、わざわざ大きく見せるだけのカサ増しt数から、国内他社と同一の基準に戻った)され、おけさ丸は12,419t(国際トン)→5,862tへとなった。

2008年

4月 - 小木航路のカーフェリー1隻体制となる(昭和58年就航と船歴の高かった「こさど丸」を廃止し、「こがね丸」1隻体制)。

5月 - 小木航路1隻体制で余剰となった「こさど丸」のいわさきコーポレーション系・新屋敷商事への売却が決定。帳簿価額は226,853千円、譲渡価額は600,000千円(消費税別)。引き渡し日は6月10日。


2009年

4月 - 事業会社を分割。船舶運航に関する業務を連結子会社の「佐渡汽船シップマネジメント」に移管し業務委託を開始。

10月 - 事業会社を分割。陸上業務を「佐渡汽船営業サービス」「佐渡汽船シップメンテナンス」に移管。


2012年

3月31日 - 新潟港・両津港両ターミナルにて自動改札機QRコードFelica併用型)の運用を開始。また6港とも乗船時の旅客名簿の提出が不要となる。

4月 - 佐渡汽船営業サービス株式会社を吸収合併。


2013年

3月23日 - 両津航路にてSuicaのサービスを開始(Suica電子マネーのシステムによる)[9]PiTaPaを除く全国9種類の交通系ICカードが利用可能となる。

4月 - 日本海内航汽船株式会社を吸収合併。貨物事業部を設置。


2014年4月8日 - カーフェリー「ときわ丸」が新潟 - 両津間に就航[N 10][N 11]。これに伴い、「おおさど丸」が運航終了[10]

2015年

3月4日 - 固定資産(カーフェリー)の譲渡に伴い約8億7500万円の特別利益が発生する見通しだと発表。譲渡先はリベリアの海運企業。決算は2015年12月末。

4月21日 - 高速カーフェリー「あかね」が直江津 - 小木間に就航[11]。これに伴い前日をもって「こがね丸」が運航終了。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:113 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef