佐川印刷SC
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SP京都FC
原語表記SP京都フットボールクラブ
呼称SP京都FC
愛称プリントダイナマイト
クラブカラー.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  赤
創設年
1986年
解散年2015年
ホームタウン京都府向日市
ホームスタジアム京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場
京都府立山城総合運動公園太陽が丘陸上競技場
収容人数西京極:20,588
太陽が丘:7,000
代表者木下宗昭
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

SP京都FC(エスピーきょうとエフシー、SP Kyoto Football Club)は、日本京都府向日市にあった社会人サッカークラブ。登録チーム名は「SP京都フットボールクラブ」。
概要

1986年佐川印刷のサッカー部として創部。2000年関西サッカーリーグ2003年日本フットボールリーグ(JFL)へそれぞれ昇格した[1]。また、2014年より登録チーム名を「佐川印刷京都サッカークラブ」、呼称を「佐川印刷京都」へ変更[2]。さらに2015年より「SP京都フットボールクラブ」(呼称:SP京都FC)に名称変更した[3]
歴史
1986年
佐川印刷サッカー部として創部し[1][4]、1998年の京都府1部リーグ昇格を機に本格的に強化を開始[1][4]
2000年
関西サッカーリーグへ昇格。全国社会人サッカー選手権大会に初出場して準優勝。
2002年
関西サッカーリーグで優勝。全国地域リーグ決勝大会で準優勝。JFL15位の静岡産業大学との入れ替え戦にPK戦で勝利。天皇杯全日本サッカー選手権大会に初出場し、1回戦でTDK(現:ブラウブリッツ秋田)を破り大会初勝利も挙げた。
2003年
日本フットボールリーグ(JFL)へ昇格[1]。リーグ戦は入れ替え戦圏内の15位で終えたが、レギュレーション変更によりJFLに残留した(詳細は当項目を参照)。
2006年
ヴィッセル神戸などの元監督の松永英機が監督に就任したが、成績が振るわず8月31日付で退任、強化部長の田中克季が監督に就任(正式な監督としての活動は9月3日京都FAカップ京都サッカー選手権大会決勝からであり、前日である9月2日の同カップ準決勝は当初の「強化部長」の肩書で指揮)。
2009年
水戸ホーリーホックから移籍した塩沢勝吾が17得点を挙げてチーム初のJFL得点王を獲得。
2010年
チームカラーを従来の紺から赤へ、ユニフォームも赤へ変更。成績は前年を上回る6位となった。シーズン後に塩沢が松本山雅FCへ移籍した。
2012年
カターレ富山より江添建次郎大分トリニータより池田達哉京都サンガF.C.より下畠翔吾などDFを中心に補強。第4節から第10節まで7試合連続無失点記録のJFLリーグ新記録を達成した[5]。新卒入団としては、近畿大学から藤本憲明が新加入している。
2013年
第27節から最終の第34節までチーム新記録のリーグ戦8連勝で終え、最高タイの6位でシーズンを終えた。
2014年
FC岐阜元監督の辛島啓珠が監督に就任。また、京都サンガF.C.と業務提携を結び、その一環としてサンガでコーチを務めていた森岡隆三がヘッドコーチに就任した[6]。1stステージは勝ち点27で3位だったが、2ndステージは勝ち点34でステージ優勝となった[7]。年間チャンピオンをかけたチャンピオンシップは1分1敗の成績でリーグ初優勝は成らなかった(詳細は当項目を参照)が、JFL昇格後最高成績となる2位でシーズンを終えた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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