佐太神社
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佐太神社

所在地島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度30分32.1秒 東経133度0分23.2秒 / 北緯35.508917度 東経133.006444度 / 35.508917; 133.006444 (佐太神社)座標: 北緯35度30分32.1秒 東経133度0分23.2秒 / 北緯35.508917度 東経133.006444度 / 35.508917; 133.006444 (佐太神社)
主祭神正殿:佐太御子大神
北殿:天照大神
南殿:素盞嗚尊
社格等式内小社、国幣小社、別表神社
創建養老元年(717年
本殿の様式大社造
札所等出雲國神仏霊場4番
例祭9月25日
主な神事管粥神事、直会祭、神在祭裏祭、御田植祭、御座替神事、例祭、神在祭
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}佐太神社
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佐太神社(さだじんじゃ)は、島根県松江市鹿島町佐陀宮内にある神社出雲国二宮旧社格国幣小社出雲國神仏霊場第四番。9月25日の御座替祭の前夜に行われる佐陀神楽が知られる。

「茣蓙替祭」は『出雲国風土記』にも記される年中行事。神職らは、本殿などの23ヶ所の茣蓙を取り替える。また、この夜は茣蓙を清める「七座神事」も奉納される。(引用:安達彰『安達彰 写真集 ユネスコ文化遺産佐陀神能』)

近辺に銅鐸・銅剣が出土した志谷奥遺跡がある。(引用:増尾敏弘『出雲神社探訪 出雲國風土記所載神社 全399社』)
祭神

正殿、北殿、南殿に、秘説四柱を含めて12柱が祭られている。
正殿
佐太御子大神伊弉諾尊伊弉冉尊、速玉男命、事解男命の五柱。
北殿
天照大神及び瓊々杵尊の二柱。
南殿
素盞嗚尊及び秘説四柱の計五柱。
神紋

正殿:扇の地紙

北殿:輪違

南殿:二重亀甲

佐太大神

現在の神社側の公式見解では、正殿の主祭神である佐太御子大神とは猿田彦神のことである[1]としている。佐太大神は『出雲国風土記』に登場し、神魂命の子の枳佐加比売命を母とし、加賀の潜戸で生まれたという。現在では、神名の「サダ」について、猿田の本来の読みであるという説、狭田すなわち狭く細長い水田の意とする説、岬の意とする説、等のほか諸説がある。
歴史
創建

秋鹿郡佐田大社之記に垂仁54年の創建で、養老元年(717年)に再建されたとある。
社名の変遷

『出雲国風土記』秋鹿郡条に「佐太御子社」と記載されている。延喜式神名帳には「佐陀神社」と記載されている[2]。中世に入ると「佐陀大明神」とか「佐陀大社」、「佐陀三社大明神」などと呼ばれるようになった。明治に入り現在の「佐太神社」に改称した。
神階

日本三代実録より

貞観元年(859年) 従五位下

貞観9年(867年) 従五位上

貞観13年(871年) 従四位下

社領

康元元年(1256年)の『社領注進状』(出雲大社所蔵)によれば280と、杵築大社(現:出雲大社)に匹敵するほどの社領を有していたという。宝永3年(1706年)の『佐陀大社勘文』によれば、島根郡と秋鹿郡に7000の社領と224人の神人を有していたが太閤検地によって大幅に減じられ、堀尾吉晴の時代になって200石まで回復したという。江戸時代に入ると杵築大社とともに出雲国内の神社を管轄しそれらを支配する「触下制度」を確立した。佐陀大社の管轄は島根郡、秋鹿郡、意宇郡の西半分と楯縫郡の神社であった。
近現代

明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、祭神を猿田彦命と明示するように指示された際、神社側は一旦はそれを拒んだが、後に従った。明治4年 (1871年) には近代社格制度において郷社に列格し、2年後の明治6年には県社に昇格、そして昭和3年には国幣小社に昇格した。

平成26年、正中殿などの修理が行われており8月に修理見学会が開催された[3][4][5][6]
建造物

正殿

北殿

南殿

拝殿

神楽殿

宇多紀神社(式内社)

日田神社(式内社)

御井神社(式内社論社)

垂水神社(式内社)

文化財
ユネスコ無形文化遺産

佐陀神能

国の重要文化財
建造物


佐太神社 3棟 -
文化4年(1807年

正中殿

北殿

南殿

附:棟札3枚、指図板1枚


工芸品


彩絵檜扇・龍胆瑞花鳥蝶文扇箱 - 平安時代

色々威胴丸(兜・大袖付) 附:鎧唐櫃1合 - 室町時代

色々威五十八間筋兜 - 室町時代

色々威腹巻(兜・大袖付) - 室町時代

※「胴丸」「腹巻」は鎧の一種
国の重要無形民俗文化財

佐陀神能

県指定有形文化財
彫刻


舞楽面 陵王 -
鎌倉時代

工芸品


鏡二面(一括指定)

円鏡線刻十一面観音坐像 - 鎌倉時代初期

鏡像 方鏡著彩阿弥陀如来来迎図 - 南北朝時代


黒漆御供台(三基) - 応安2年(1369年

大野太刀 - 室町時代初期

大野太刀 - 南北朝時代

蛭巻薙刀拵 - 室町時代

鰐口 - 嘉吉2年(1442年

主な行事

祭礼は古来75度あったと言われるが、近世にはすでに行われなくなったものもかなりあると見られている。

2月3日 節分祭(引用:安達彰『安達彰 写真集 ユネスコ文化遺産佐陀神能』)


2月15日 管粥神事

5月3日 直会祭

5月20日 - 5月25日 神在祭裏祭

7月15日 御田植祭

9月24日 御座替神事

9月25日 例祭

11月20日 - 11月25日 神在祭[7]

交通

JR
松江駅6番のりばから一畑バス恵曇連絡所行き約28分、佐太神社前下車

参考文献

谷川健一編 『日本の神々 神社と聖地 7 山陰』(新装復刊) 平成12年(2000年白水社 ISBN 978-4-560-02507-9


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