佐味宮守
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 凡例佐味宮守
時代奈良時代
生誕不明
死没不明
官位従五位下越後守
主君孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇
氏族佐味朝臣
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佐味 宮守(さみ の みやもり)は、奈良時代貴族朝臣官位従五位下越後守
経歴

左大臣橘諸兄家司を務めていたが、天平勝宝7歳(755年)11月に主人の諸兄が酒席で聖武上皇に対して無礼な発言があり、謀反の気配がある旨を密告した。聖武上皇はこの密告に取り合わず、諸兄が咎められることはなかったが、諸兄はこの経緯を知り翌天平勝宝8歳(756年)2月に大臣を辞して政界を退いた[1]天平勝宝9歳(757年橘奈良麻呂の乱後、かつての密告を賞されて、従八位上から十一階昇進して従五位下に叙爵された。

天平宝字3年(759年左京亮に任ぜられたのち、天平宝字7年(763年安房守に転じると、神護景雲2年(768年)越後守と、淳仁朝から称徳朝にかけて地方官を務めた。
官歴

続日本紀』による。

時期不詳:従八位上

天平勝宝9歳(757年) 7月5日:従五位下

天平宝字3年(759年) 5月17日:左京亮

天平宝字7年(763年) 正月9日:安房守

神護景雲2年(768年) 閏6月3日:越後守

脚注[脚注の使い方]^ 『続日本紀』天平宝字元年6月28日条

参考文献

宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社講談社学術文庫〉、1992年

関連項目

橘奈良麻呂の乱


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