佐佐木治綱
[Wikipedia|▼Menu]

佐佐木治綱
誕生 (1909-02-20)
1909年2月20日
東京府
死没 (1959-10-08) 1959年10月8日(50歳没)
職業歌人国文学者
言語日本語
国籍 日本
最終学歴東京帝国大学文学部卒業
配偶者佐佐木由幾
子供佐佐木幸綱(長男)
親族藤島正健(母方の祖父)
佐々木弘綱(父方の祖父)
佐佐木信綱(父)
佐佐木頼綱(孫)
佐佐木定綱(孫)
テンプレートを表示

佐佐木 治綱(ささき はるつな、1909年2月20日 - 1959年10月8日)は、昭和期の歌人国文学者

佐佐木信綱の三男として東京に生まれる。東京高等師範学校附属中学校旧制第八高等学校を経て、1935年に東京帝国大学文学部国文科を卒業。父と斎藤瀏に師事し、1940年「鶯」を創刊。1944年心の花」と合併し、1952年から編集責任者。白百合短期大学教授。中世和歌、特に玉葉和歌集風雅和歌集を専門とした。1959年、転落事故により急逝[1][2]。父よりも早い死であった。

妻の佐佐木由幾(旧姓・鈴木、理化学研究所研究員鈴木庸生の次女)も歌人。長男は歌人の佐佐木幸綱。孫に佐佐木頼綱佐佐木定綱
著書

『短歌鑑賞の心理 助詞を中心として』人文書院 1936年

永福門院』生活社 1943年

共著

『日本文學史入門』
久松潜一監修 大久保正,溝江コ明,野田壽雄, 新間進一共著 愛日書院 1949年

訳・校訂

平田篤胤歌文集』校註 冨山房 1941年

『平安朝日記集』校訂 いてふ本刊行会 1953年

『古典日本文学全集 第34 (本居宣長集)』初山踏 玉勝間 筑摩書房 1960年

脚注^20世紀歌人群像
^ 当時の学会消息では死因は尿毒症となっている。「学会消息」『中世文学』第5巻、中世文学会、1960年、42-45頁、doi:10.24604/chusei.5_42。 

参考

コトバンク

典拠管理データベース
全般

VIAF

国立図書館

日本


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:6086 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef