佐世保鎮守府
[Wikipedia|▼Menu]
佐世保鎮守府庁舎

佐世保鎮守府(させぼちんじゅふ)は、長崎県佐世保市に所在した大日本帝国海軍鎮守府。通称は佐鎮(さちん)。
沿革

九州を始めとする西日本地域一帯の防衛と大陸進出の根拠地として九州西岸に海軍の軍港を置くことになった。第一候補は長崎だったが、長崎湾が狭小であるため、市民から商港機能を阻害されると猛反対され、土地買収費用の問題もあり断念。西松浦郡伊万里[1]北松浦郡平戸の江袋湾、東彼杵郡佐世保村 [2]が候補地に上げられた。佐世保湾の調査に訪れた肝付兼行は、海・陸の両側から湾を見て一目惚れし、佐世保湾を優れた港湾の一つとして明治政府に進言[3]。海軍部内での検討の末、「廻れば七里、浦は七浦七岬[4]」と謳われた日本最大の天然の良港[注釈 1]である佐世保湾に面し、寒村ゆえ土地も安く手に入る佐世保村に軍港を開き鎮守府を置くことが決定[注釈 2]1889年(明治22年)7月1日に正式に佐世保鎮守府が開庁した。初代鎮守府司令長官は赤松則良海軍中将である。
年譜

1883年(明治16年)8月 - 軍艦「第二丁卯」(東郷平八郎艦長)が大村湾測量のため佐世保浦に来船[注釈 3]。責任者は肝付兼行海軍中佐。

1886年(明治19年)4月21日 - 鎮守府官制が制定され、佐世保に「第三海軍区鎮守府」を置くことが決定する。

1887年(明治20年)9月 - 鎮守府官制改正、名称を「佐世保鎮守府」に改める。

1889年(明治22年)7月1日 - 鎮守府開庁。

1890年(明治23年)4月26日 - 開庁式典を明治天皇臨席にて挙行。

1898年(明治31年)1月20日 - 九州鉄道(現JR九州)が佐世保駅まで開業。

1902年(明治35年)4月1日 - 佐世保市制施行。

1903年(明治36年)11月 - 海軍工廠を設置(現在の佐世保重工業の源流)。

1905年(明治38年)9月11日 - 佐世保港内で連合艦隊旗艦三笠が爆発沈没。のちに引き揚げ修理。

1911年(明治44年)1月6日 - 佐世保海軍共済組合病院が開院。現佐世保共済病院

1920年(大正9年)12月1日 - 崎辺沖の埋立地に佐世保海軍航空隊が開隊。

1922年(大正11年)11月 - 針尾無線塔が完成、12月より供用開始。

1924年(大正13年)3月19日- 相浦高島沖で演習中の第43号潜水艦が軽巡洋艦龍田と衝突沈没し乗組員45名全員殉職。

1934年(昭和9年)3月12日- 大立島沖で演習中の水雷艇友鶴が遭難転覆、72名殉職・28名行方不明・13名生還(友鶴事件)。

1941年(昭和16年)10月1日- 地盤沈下のために日宇での開業を断念した第21海軍航空廠が大村で操業開始(跡地は白岳工業団地に転用された)。

1945年(昭和20年)6月28日 - 佐世保空襲で鎮守府庁舎等焼失。

1945年(昭和20年)11月30日 - 鎮守府廃止。

2016年(平成28年)4月25日 - 佐世保鎮守府庁、水道施設群、武庫倉庫群(「立神煉瓦倉庫群」の名称)等の施設が文化庁より日本遺産に認定される。
立神煉瓦倉庫群
歴代司令長官「Category:佐世保鎮守府司令長官」も参照
赤松則良(建築委員長) 中将:1887年9月26日 - 1889年3月30日 ※軍港設置委員長として港湾設備の建造を指揮。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef