佐世保鉄道
種類株式会社
本社所在地 日本
長崎県佐世保市俵町78の1[1]
設立1918年(大正7年)8月21日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、自動車運輸業、船舶業、不動産[1]
代表者社長 中倉万次郎[1]
資本金1,070,000円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1935年(昭和10年)現在[1]。
テンプレートを表示
佐世保鉄道
凡例
現
存
線国
有
化
後
に
廃
止
佐世保方面
佐世保鉄道(させぼてつどう)は、大正時代から昭和時代初期にかけて現在の松浦鉄道西九州線の一部を建設・運営した鉄道会社である。 佐世保鉄道(設立当時は佐世保軽便鉄道)は当時北松炭田と呼ばれた炭鉱地帯(現在の佐世保市北部から北松浦半島にかけて)から採掘された石炭を北松浦半島沿岸の港まで運び出すために世知原出身の政治家である中倉万次郎を中心とした地元資本により設立されたものである。762mm軌間を採用した軽便鉄道であるため輸送力は決して大きくはなかったが、鉄道開通で北松炭田からの石炭輸送は格段に便利になった。 当初の目的の関係で、現在の佐世保市柚木地区等の相浦川沿いにある炭鉱から採掘された石炭を相浦港(佐世保港相浦港区)に運び出す路線と、同市世知原地区(旧世知原町)等の佐々川沿いの炭鉱からの石炭を佐々を経て臼ノ浦港まで運び出す路線を軸として、両者を連絡する路線と広域的な中心である佐世保市の中心市街地への客貨輸送のための上佐世保駅(国有化後廃止。現在の北佐世保駅の西方、桜の聖母幼稚園のあたりにあった)への支線を設ける形となった。 またバス路線(佐世保駅前 - 俵町間、左石駅 - 栗木峠間)を保有していた[2]。 満州事変以降東アジアでの緊張が高まる中で、運炭路線としての重要性と鉄道省伊万里線と結んで北松浦半島を循環する省線の一部とする必要上から、1936年(昭和11年)10月1日に国有化された。 路線の消長の詳細については「松浦鉄道西九州線」の項目を参照されたい。
概要
沿革
1918年(大正7年)3月29日 中倉万次郎ら、相浦 - 柚木間及び大野 - 上佐世保間の免許を下付[3][4]
1918年(大正7年)8月21日 佐世保軽便鉄道会社を発足させる。資本金50万円[5]
1920年(大正9年)3月27日 相浦駅 - 柚木駅間を762mm軌間で開業[6]
1921年(大正10年)10月7日 大野駅(現左石駅)より分岐して上佐世保駅まで延伸[7][8]
1923年(大正12年)12月25日 佐世保鉄道に社名変更
1927年(昭和2年)12月28日 鉄道免許状下付(北松浦郡山口村-同郡佐々村間)[9]
1929年(昭和4年)3月29日 鉄道免許状下付(北松浦郡佐々村-同郡小佐々村間)[10]