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この項目では、2004年に小学生の女子児童が起こした殺人事件について説明しています。
2014年に女子高校生が起こした殺人事件については「佐世保女子高生殺害事件」をご覧ください。
佐世保小6女児同級生殺害事件
佐世保市立大久保小学校(2011年撮影)
正式名称佐世保大久保小事件
場所 日本・長崎県佐世保市東大久保町9-10
佐世保市立大久保小学校
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度10分39.5秒 東経129度42分35.2秒 / 北緯33.177639度 東経129.709778度 / 33.177639; 129.709778
佐世保小6女児同級生殺害事件(させぼしょうろくじょじどうきゅうせいさつがいじけん)は、2004年(平成16年)6月1日、長崎県佐世保市立大久保小学校で発生した殺人事件。
小学6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで切り付けられ死亡した。
本事件はインターネットに端を発していることや、当時警察の情報よりもインターネット上の情報が先行した点で、IT化した現代社会を象徴する事件とされた[書籍 1]。文部科学省はこの事件を長崎県佐世保市女子児童殺害事件と呼称し、大臣談話を発表している[3]。 2004年(平成16年)6月1日正午過ぎ、長崎県佐世保市立大久保小学校において小学6年生の女児(当時12歳)が同級生の女児(当時11歳)にカッターナイフで切り付けられて死亡した。 事件を発見した担任は止血を試み、教頭は119番通報をした。駆けつけた救急隊員が教師に対し現場状況について尋ねたところ、教師が現場付近にいた女児を連れてきた。隊員が被害者がなぜ怪我をしているのか尋ねると「私がカッターで切りました」と答えたため、警察は女児を佐世保警察署に移動させ事情聴取を行った。 6月8日、長崎家庭裁判所佐世保支部が少年審判を開くことを決定。14日に精神鑑定留置を認め、8月14日までの61日間鑑定留置された。 9月15日、長崎家庭裁判所佐世保支部で最後の少年審判が開かれ、加害者を児童自立支援施設送致とし、2004年9月15日から向こう2年間の強制的措置を取れる保護処分を決定した。 事件現場は、長崎県佐世保市にある弓張岳の中腹に所在する、佐世保市立大久保小学校である。 事件当日(6月1日)2時間目の休み時間 6月1日12時43分
概要
事件の発生状況
被害者が交換日記を抜けたいという趣旨のメモを友人に渡した。午前中にこのメモが加害者に届けられた。加害者は友人に「なんなら全部やめちゃえば」と伝えた。12時15分
授業が終了し、給食の準備が始まる。12時15分 - 35分
加害者が被害者を6年生の教室から北に約50メートル離れた学習ルームに「態度が生意気」「ちょっとおいで」と言って呼び出した[4][5]。そこでカーテンを閉めて椅子に座らせ、手で目を隠し背後から首と左手を切りつけた。被害者は椅子から立ち上がり、両手を振って抵抗したが、加害者は何度も切りつけたという。手の甲の傷もこの際、付いたとみられる[6]。被害者が倒れた後、すぐには現場を離れず、教室に戻るまでの約15分間、手に付いた返り血をハンカチでふいたほか、被害者の顔をのぞき込んだり、体を触ったりして、動かないことを確認したという[7]。被害者の首の傷は深さ約10センチ(普通の大人の首の太さは直径で13 - 15cmぐらい)、長さ約10センチになり、左手の甲には、骨が見えるほど深い傷(防御創)があったという[書籍 4]。12時35分
「いただきます」の唱和時に、担任が加害者と被害者が教室にいないことに気づく。その直後、廊下から走る音が聞こえ、加害者が返り血を浴びた服のまま入口にたたずんでいた。黙りこくる加害者の手にはカッターナイフと血で濡れたハンカチが握られていて、ズボンの裾は水に漬かったように濃さを増していた。担任はすぐに加害者からカッターナイフを取り上げた。当初、担任は加害者が怪我を負っているのだと思い、手を広げさせたが怪我はなかった。担任が強い調子で加害者に事情を尋ねると「私の血じゃない。私じゃない」と呟いた(「私じゃない...私じゃない!私じゃない!」と叫んだという証言もある[書籍 5])。加害者は学習ルームの方向を指さした。担任が現場に駆け付けると、被害者が倒れているのを視認した。担任は「救急車!救急車!救急車!」と叫んで、被害者を抱きかかえながら止血を試みる。叫び声を聞いた3年教室の教師が職員室へ駆け込み、教頭に報告した。教頭は状況を理解できず、自ら現場に赴いた(教頭は現場へ向かう途中で加害者とすれ違っている)。担任到着時には被害者はまだ息をしていた。学習ルームには血が飛び散り、壁にも点々と血が付着していた。入口付近には折れたカッターナイフの刃が落ちていた。また、被害者の眼鏡が机の上に置かれていた[書籍 6]。
事件後の経緯
対応
現場の惨状を目の当たりにした教頭は119番通報した。教頭は動転のあまり市消防局指令課に状況をうまく説明できなかったが、学校から約4km離れた派出所から救急車が出動した。ほぼ同時に、被害者の父親にも連絡を入れた。被害者の父親はタクシーで学校に向かった。12時50分
救急車が到着しないことに焦りを覚えた教頭が再び119番通報した。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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