住宅
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この項目では、世界の住宅全般について説明しています。日本の住宅については「日本の住宅」をご覧ください。
日本の住宅(建売り住宅)イギリスの住宅(テラス形式)マンハッタン集合住宅

住宅(じゅうたく、英語: house, あるいはresidence)は、人の居住を用途とする建築物。「住居」とも言う。
概説
機能

住宅にはさまざまな機能が存在するが、最も重要なものは外部の危険から居住者を守る機能である。この危険は、寒さや暑さなどといった日常的なものから、台風などの突発的な自然災害に至るまで多岐にわたる。これと同様に、居住者が快適に生活を営むことのできる機能も重要である。居住者は住宅内部において睡眠を取り、食事をし、家庭を持っている場合は育児や団欒、介護などの家庭生活を行い、また趣味や休息などを含む日常生活の大きな部分を住宅内において過ごす[1]家族が暮らしている場合、住居には食事や団欒、来客対応といった家族・他者との生活部分と、勉強や休養、就寝といった純粋に私的な部分の2つの役割が存在し、前者は居間などで、後者はおのおのの個室で主に行われる[2]
居住者への影響

住宅は人の生活の拠点であり、居住者は住宅内部で長い時間を過ごすため、住宅の質は人の健康に大きな影響を与える。住宅建設の際、日照や採光、通風などを考慮し、湿度や空気のよどみなどを避けることが健康的な生活につながる[3]建材などに含まれる化学物質など、住居における何らかの要因で体調不良を起こすシックハウス症候群と呼ばれる病気も存在する[4]。階段や段差といった障害で転倒するなど、住宅内での事故も多く[5]、この対策として住居内の段差を減らしたり、動線を改良し通路を広げ手すりをつけるなどして移動しやすい住居にし、浴槽を低いものにして浴室の床を滑りにくくするなど、障害を減らし高齢者でも安全に暮らせるバリアフリー住宅の建設も増加傾向にある[6]
住居を規定するもの

住宅の形状はその土地の気候条件、およびそれに応じてその土地で取れる材料によって規定されるものである。だが、現地の文化によっても大きく左右される。男性と女性の居住空間を分離する文化のある民族は珍しくなく、基本的に一室しかない遊牧民の移動式住居においても、男女の生活スペースが定められていたり、男女間になどによって物理的に仕切りを作る場合がある[7]。また、住居の構造はしばしば宇宙観宗教論と結びつけられることがあり、風水のように周辺の環境とも関連付けて考えられることがある[7]
歴史
採集生活の住居旧石器時代、移動生活の住居の再現

遙かな古代には人類採集のために移動生活を行っていて、ごく初期には洞窟など居住に適した地形を見つけ暮らしており[8]、やがてキャンプ地で手に入るものを寄せ集めて風雨をしのぐための仮の建築物をつくるようになった[8]。これが住宅の起こりである。この時期は移動して生きていたので住居はテント掘立小屋程度のものだった。

やがて定住を行うようになるとともに、固定的な、容易に移動できない住居をつくるようになった。
住居の材料

人類は定住するに当たり、まずはその近辺に豊富にある材料を寄せ集めて住宅を作った[9]。このため世界各地でその風土ごとの様々な材料の住宅が存在するようになった[9]。なお、こうして近隣で豊富に取れる材料を使って住宅を建設することは近代にいたるまで一般的であった[9]粘土は主要な建築材料のひとつであり[10]中東などの乾燥地においては、泥を型に入れ乾かすことで簡単につくれ断熱性に優れる日干し煉瓦(en:Mudbrick)が古代より主要な建築材料となっていた。一方高温多湿な熱帯モンスーン地帯においては、軽量で風通しがよく雨に強い木材を使用することが一般的だった。高温湿潤地域においては、も主要な建築材料だった[11]湿地帯においては外装材にが多用された[12]石材も、どの文明でも使用された。特殊な建材としては、北極圏イヌイットは冬季の住居にのブロックを用い、イグルーを建造していた[13]コンクリートも、古代エジプト、古代ローマの時代から、建築材料のひとつとして使われていた。特に古代ローマ帝国の技術者たちが使うローマン・コンクリートは優れており石材と組み合わせて使用された。

一方、移動の多い遊牧民などは住居として動物の毛皮皮革などを使ったテントを設営した。

また地上に家屋を構えるのではなく、乾燥地においては地面を掘り下げたり地下に穴を掘って住居を建設することも近代にいたるまで行われていた。黄土高原における窰洞カッパドキアカイマクルの地下都市[14]チュニジアの旧マトマタなどがよく知られた例である。
変化・深化

住宅建設の技術が進むにつれて、その形状もその場所の環境に合うように変化を遂げていった。寒冷な地域においては(en:hearth)や囲炉裏などといった暖を取るための設備が重視され、多湿地域においては湿気を避けるためにしばしば建物は高床建物となった。また乾燥地域では降雨に対応する必要がないため屋根は平らなものとなる一方、多雨地域では雨を流すよう屋根に角度がつけられていることがほとんどである[15]。他者の襲撃が絶えなかった地域においては住居は防御力を重視して建造され、西アフリカの環状住居[16]や中国南部の土楼[17]のようにいくつもの住居をつないだ小要塞を建造したり、またニューギニア島の一部民族のように樹上住居を建設した民族も存在する[18]。こうしたさまざまな素材・様式の住居は居住者の行動を規定し、生活様式に大きな影響を与えた。
産業革命以降

産業革命以降、都市への急速な人口集中によってさまざまな「住宅問題」が発生するようになった。都市中心部には低賃金労働者が集中してスラムなど不良住宅地区が生まれ、それを嫌ったブルジョワジーたちは郊外に自宅を構え、都心部のオフィスへと通勤するようになった。こうして19世紀には職住分離が一般化し、通勤需要をまかなうための公共交通機関の発達もはじまって、都心と郊外による都市圏が成立した[19]。一方、労働者層の住宅問題は深刻化し、いくつかの対策が検討されるようになった。こうした対策の一つとして、1898年にはエベネザー・ハワード明日?真の改革にいたる平和な道によって自然と共存し自立した都市近郊の小都市論、いわゆる田園都市構想を提唱した[20]。また衛生面における住宅改善の必要性は、ル・コルビュジエらに影響を与えた[21]

都市への人口集中は地価の高騰をもたらし、大都市圏では一戸建ての率が目立って減少し、住宅は集合化・高層化の道をたどった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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