住宅営団
[Wikipedia|▼Menu]

住宅営団(じゅうたくえいだん)は、1941年(昭和16年)に設立され、全国規模で戦時下の住宅供給事業を行った営団ポツダム宣言の受諾後の連合国軍最高司令官総司令部指令により閉鎖された。
概要

関東大震災1923年)の義捐金で設立された同潤会の事業を引き継ぐ形で、1941年に設立された(同潤会は住宅営団発足とともに解散)。同潤会が東京・横浜を対象としていたのに対し、大阪、名古屋、仙台、広島等に支所を置き、全国規模で事業を行った。

初年度は労務者向けの住宅として3万戸の住宅建設を目標に事業が展開され、多くの借家が建設されたほか、同年10月11日には三鷹町上連雀で住宅営団初の分譲が行われた[1]

第二次世界大戦開戦直前の時期であり、大工などの技能者の確保が難しい状況となっていたため、新たな住宅建設と運営には様々な困難が伴った。このため住宅の広さを9坪、12坪、15坪までの3種に規格化、天井、床、壁をベニヤ板で枠型に作り上げて柱とボルトで組み合わせる工法(プレハブ工法、木製パネル式組立住宅の原型)が編み出された[2]ほか、住宅の管理者には傷痍軍人(准尉上の将校)を採用し、差配型とならぬよう管理者学校で住宅管理や衛生などの諸法規や知識を2か月間(260時間)講習させた。[3]また、西山卯三を中心に住宅問題の調査、研究が進められ、住み方調査や食寝分離の提案などが行われた。これらハード・ソフト両面の画期的な試みがなされたが、物資不足は如何ともし難く、ほとんど成果を上げることができないまま終戦を迎えた。終戦後は応急簡易住宅の建設を行った。
解散

戦時中は軍需関係の住宅建設が主体だったため、1946年(昭和21年)に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の命令により解散を命じられた。

全国に散在する建設中の住宅、完成住宅の取扱いが問題となったが、建設中の住宅は戦災復興院が責任をもって完成させること、完成住宅は各府県に委譲する方針が決められた。さらに1947年3月末で工事を打ち切るよう指令があり、地方公共団体や日本復興建設株式会社などに工事を引き継ぎ、入居済み住宅は居住者への払下げを進めた[4]

残余資産を一括競売に掛け、落札資金により建財株式会社を設立。旧営団職員の一部は新会社に引き継がれた。建財株式会社は東京に本社、仙台、名古屋、大阪、広島、福岡に支店を置き、一般の建設事業、不動産事業を行うほか、住宅営団の債権回収、不動産の整理等を行った[5](横浜の同潤会アパートの管理等も行った)。

東京の同潤会アパートの多くは東京都が管理し、入居者への払下げが進められた。

同潤会と住宅営団は、1955年に設立される日本住宅公団の先駆的な役割を果たしたと言えるが、組織的に直接のつながりはない。
住宅地の建設

住宅営団が戦中・終戦直後の時期に建設した住宅地では、東京都区内では同潤会から引き継ぐ千住緑町、新宿区百人町住宅(後の通称越冬住宅)、東京都現市域では旧北多摩郡武蔵野町(現武蔵野市)の関前字千川堀附住宅(現八幡町住宅地)吉祥寺野田町南・吉祥寺駅北方住宅(現緑町)武蔵境上水北小金井公園東側住宅、旧大和村南街住宅、など、飛行機製造業工場の従業員用の住宅を多く供給した。

大阪で堺市初芝住宅(東初芝住宅)、大阪府の茨木住宅地、神奈川県内では古市場、上平間、新城駅前、新作高免、上大岡、六浦三艘、平塚浜岳、相模原、福岡県の冨野住宅地、仙台市川内追廻埼玉県では蕨市稲穂作住宅(三和町 (蕨市))、兵庫県では姫路市の野里、苫編、安田、町坪、飾磨恵美酒、中地、三重県では四日市市常磐城東町、愛知県では明徳南部および北部住宅、中根住宅、本星、堤起、稲葉地、野立などがある。

日本統治下の朝鮮においても、1941年6月には朝鮮総督府により朝鮮住宅営団が設立され、1945年まで京城府など朝鮮全土の主要都市で住宅建設を進めた[6]。戦後は大韓住宅公社を経て、現在の韓国土地住宅公社となっている。
おもな営団住宅地

(所在地名は戦後のもの)

川内追廻 - 宮城県仙台市

蕨穂保作住宅 - 埼玉県蕨市

三和町(蕨)住宅地 - 埼玉県蕨市南町

新検見川花園住宅地 - 千葉県千葉市花見川区花園

若宮住宅営団内家屋 - 千葉県市川市

夏見台住宅地(夏見営団)-千葉県船橋市夏見4丁目の一部[7][8]

富久町住宅地 - 東京都新宿区富久町

三鷹台駅前住宅地 - 東京都杉並区久我山、三鷹台駅東方

千住緑町住宅地 - 東京都足立区千住緑町

仙川堀付住宅地 - 武蔵野市八幡町、中島飛行機

吉祥寺野田町南住宅地 - 武蔵野市吉祥寺北町、中島飛行機

武蔵境上水北住宅地 - 武蔵野市桜堤、中島飛行機

吉祥寺三鷹台住宅地 - 武蔵野市吉祥寺南町、三鷹台駅・立教女学院北方、現在分譲と都営住宅に(銭湯有)

三鷹山中住宅地 - 三鷹市上連雀、山中地区公会堂付近

東野住宅地 - 三鷹市深大寺、三鷹警察署東野交番周辺、中島飛行機三鷹研究所

曙住宅地 - 三鷹市上連雀、曙住宅バス停北方、中島飛行機他

三鷹上連雀住宅地 - 三鷹市上連雀、都営上連雀九丁目第二アパート東方

田無谷戸住宅地 - 西東京市谷戸、ひばりヶ丘駅南方、谷戸住宅バス停東側

田無北原・北原第一?第三住宅地 - 西東京市田無駅北東方、中島飛行機社宅

田無下宿舎 - 西東京市田無駅南西方

調布八雲台(国領北裏)住宅地 - 調布市国領駅北西方

調布上布田(天神前)住宅地 - 調布市調布駅北方

下石原住宅地 - 調布市調布駅北西方

狛江住宅地 - 狛江市狛江駅北方

国分寺多喜窪住宅地 - 国分寺市西国分寺駅南方、日本製鋼所

小平御上水南住宅地 - 小平市喜平橋南方、陸軍兵器補給廠小平分廠など

小平桜堤住宅地 - 小平市喜平橋南西方

小平桜上水営団住宅 - 小平市


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef