住吉神社
拝殿(国の重要文化財)
所在地山口県下関市一の宮住吉一丁目11-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度59分58.6秒 東経130度57分23.6秒 / 北緯33.999611度 東経130.956556度 / 33.999611; 130.956556
住吉神社(すみよしじんじゃ)は、山口県下関市一の宮住吉にある神社。式内社(名神大社)、長門国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
大阪の住吉大社・博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の1つに数えられる。本殿は国宝に指定されている。 本殿は第一から第五の5殿が連なり、それぞれ次の神が祀られている。 大阪の住吉大社が住吉三神の和魂を祀るのに対し、当社は荒魂を祀るとされる。 『日本書紀』神功皇后摂政前紀によれば、三韓征伐の際、新羅に向う神功皇后に住吉三神(住吉大神)が神託してその渡海を守護し、帰途、大神が「我が荒魂を穴門(長門)の山田邑に祀れ」と再び神託があり、穴門直践立(あなとのあたえほんだち)を神主の長として、その場所に祠を建てたのを起源とする。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では長門国豊浦郡に「住吉坐荒御魂神社三座 並名神大」と記載され、三座が名神大社に列している。 創建の由緒から軍事と海上交通の神として厚い崇敬を受け、鎌倉時代に入ると、源頼朝を始め歴代将軍からの社領などの寄進を受けた。戦国時代に一時衰微したが、大内氏、毛利氏からの崇敬を受けて復興し、江戸時代には長州藩主毛利氏によって社殿の修復が行われた。 明治維新後、明治4年(1871年)に近代社格制度において国幣中社に列し、明治44年(1911年)には官幣中社に昇格した。 本殿は応安3年(1370年)に大内弘世により造営されたもので、昭和28年(1953年)国宝に指定されている。5つの千鳥破風付き一間社を合の間とともに一列に連ねた九間社流造で、中央の第三殿の前に拝殿がある。拝殿は毛利元就の寄進により天文8年(1539年)造営された切妻造檜皮葺で、こちらは昭和29年(1954年)重要文化財に指定されている。
祭神
第一殿:住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)
第二殿:応神天皇
第三殿:武内宿禰命
第四殿:神功皇后
第五殿:建御名方命
歴史
概史
神階
天安3年(859年)1月27日、従五位下から従五位上 (『日本三代実録』) - 表記は「住吉荒魂神」。
貞観17年(875年)10月8日、従五位上から正五位下 (『日本三代実録』) - 表記は「住吉荒御影神」。
貞観17年(875年)12月5日、従四位下から従四位上 (『日本三代実録』) - 表記は「住吉荒魂神」。
仁和2年(886年)11月14日、従四位上から正四位下 (『日本三代実録』) - 表記は「住吉荒魂神」。
寛平3年(891年)8月21日、正四位下から正四位上 (『日本紀略』) - 表記は「住吉荒御魂神」。
社殿
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