住吉町_(横浜市)
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 神奈川県 > 横浜市 > 中区 > 住吉町

住吉町
町丁
関内ホール
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度26分49秒 東経139度38分12秒 / 北緯35.44681度 東経139.63664度 / 35.44681; 139.63664
日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区中区

人口情報(2024年(令和6年)3月31日現在[1]
 人口836 人
 世帯数477 世帯

面積[2]
 0.052 km²
人口密度16076.92 人/km²
設置日1889年明治22年)4月1日
郵便番号231-0013[3]
市外局番045(横浜MA[4]
ナンバープレート横浜
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住吉町(すみよしちょう)は、神奈川県横浜市中区町名[5]。現行行政地名は住吉町。「丁目」として1丁目から6丁目までが存在し、住居表示は未実施[6]。面積は0.052km2[2]
地理

横浜の関内地区に南東?北西に走る北西方向一方通行の相生町通りに沿った約750mの細長い町域を持ち、南東が1丁目となる。南東はみなと大通をはさんで横浜公園に接し、北東は相生町、南西は常盤町に挟まれる。6丁目は大岡川に突き当たり、歩行者専用の住吉橋が桜木町駅方面へ通じている。各丁目の境には、1・2丁目境にベイスターズ通、2・3丁目境に関内桜通、3・4丁目境に関内大通、4・5丁目境に馬車道、5・6丁目境に博物館通が横切る。一帯はビジネス街で、1丁目にスカーフ会館と、通りの向かいに横浜住吉町郵便局、2丁目に神奈川県洋服会館、4丁目に関内ホール、6丁目に神奈川県不動産会館などがある[5]。ビジネスホテルが多いのもこの街の特徴で、3丁目にコンフォートホテルアパホテル、5丁目にリッチモンドホテル、6丁目にホテルエディット横濱が立つ。界隈には飲食店も多い。
歴史

太田町から港町にかけての各町と同様に1850年嘉永3年)から1856年安政3年)にかけて太田屋新田として開拓された土地で、1867年慶応3年)に伊藤清十郎により埋め立てられ、街並みが形成された。1871年明治4年)に現在の町名となる[7]。町の名は縁起を祝って付けられた、瑞祥地名である[8]。同年に入船町通りの一部を編入。1873年3月に相生町で出火した火災により、町の大半が焼失。同年5月に地区改正が行われ、小松町・小船町・駒形町・高砂町の各一部を編入して1?6丁目を置いた。1889年4月1日に横浜市に市制編入[9]1923年9月の関東大震災では甚大な被害を受け、1945年5月の横浜大空襲でも全家屋が倒壊する被害を受けている[7]1961年に中区役所が桜木町から町内に移転(1983年に、日本大通の新庁舎に移転)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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