住吉宮町遺跡
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住吉宮町遺跡(すみよしみやまちいせき)とはJR住吉駅周辺、兵庫県神戸市東灘区住吉宮町3・4・5・6・7丁目、住吉本町1・2丁目、住吉東町4・5丁目にわたって所在する東西750メートル、南北650メートルの弥生時代?近世の複合遺跡である。包蔵地面積22万m2。住吉川右岸の完新世に形成された標高20メートル前後の扇状地に立地する。

弥生時代中期・末期の竪穴住居前方後円墳坊ヶ塚古墳と帆立貝型式前方後円墳住吉東古墳を頂点とした古墳時代後期の古墳群や奈良時代平安時代中世の集落などが発見されている。また、幾重もの洪水砂層や洪水時の流路・土石流など洪水の形跡が確認されている。

この地域は早くから市街化が進んだため、その存在は全く知られていなかった。言い方を変えればあまりにも古くから人の居住していたため遺跡として意識されていなかったのだが、1985年(昭和60年)に住吉宮町7丁目でのマンション建設の際に遺物が出土しこれが明らかとなった。その後もマンション建設や駅舎ビルの建設、再開発に伴い調査が繰り返されている。
目次

1 調査

2 各時代の特徴

2.1 弥生時代

2.2 古墳時代

2.3 奈良・飛鳥時代

2.4 平安時代以降


3 諸事項

3.1 古墳群

3.1.1 群の特徴

3.1.2 埋葬施設

3.1.3 供献物

3.1.4 外部施設

3.1.5 埴輪

3.1.6 石棺墓

3.1.7 造営段階


3.2 周囲の植生

3.3 馬歯の出土


4 脚注

5 関連項目

6 参考文献


調査

この遺跡は1985年以降数十度にわたり調査が行われている。

約半分にあたる11万m2が阪神・淡路大震災による被災面積にあたり、第17次調査以降は阪神・淡路大震災復興にともなう発掘調査が行われた。調査地点(数字は調査次数)と発見された墳墓


次年調査地調査内容
11985住吉宮町7丁目古墳時代後期の古墳3基・溝・土坑ピット鉄刀1・円筒埴輪須恵器土師器・土錘、鎌倉時代の土坑、瓦器白磁羽釜・須恵系陶器
21985住吉宮町7丁目古墳時代前期初頭の土坑、庄内式期の甕・壷・鉢、後期初頭の古墳8基、須恵器・円筒埴輪・飯蛸壷・土錘
31985住吉宮町3丁目古墳時代の溝跡、須恵器・製塩土器、中世の土坑、須恵器・土師器・瓦器・青磁碗・白磁碗、近世の石組み暗渠・ピット、陶器
41986住吉宮町7丁目古墳時代前期初頭の土坑、庄内式期の甕、古墳時代後期初頭の箱式石棺3基、須恵器・土師器小型丸底、古墳時代後期末?奈良時代の溝跡、須恵器・土師器・円筒埴輪、土錘・蛸壺・水晶製切子玉
51987住吉宮町1丁目、坊ヶ塚遺跡弥生時代末以前の3面以上、後期末の方形周溝墓3基、古墳時代前期の竪穴式住居跡・木棺墓・土坑墓、後期の方墳9基・河原石積石室2基・水田、平安時代後期?鎌倉時代の掘立柱建物跡2棟など
61987住吉宮町6丁目14古墳時代・中?近世の土坑など、弥生?中世の遺物
71987住吉本町1丁目弥生時代中期?古墳時代後期の水田、弥生時代末の方形周溝墓3基、弥生土器、古墳時代後期の古墳2基・土器棺1基、土師器・須恵器。円筒埴輪・鉄鏃、平安?鎌倉時代の遺物…縁釉陶器・土鍋・瓦器・白磁
81987住吉宮町7丁目鎌倉時代のピット、須恵器・土師器・羽釜・瓦器
91988住吉東町1丁目・住吉宮町4丁目弥生時代後期末の周溝墓1基、溝跡、庄内式期の甕、古墳時代後期の竪穴式住居跡10棟、方墳3基・帆立貝式前方後円墳1基(住吉東古墳全長24m)、弥生時代末?古墳時代初期の土器、須恵器(杯・高杯・)、製塩土器、石製模造品(滑石製双孔円盤・臼玉・管玉・紡錘車・剣状石製品・瑪瑙製勾玉)土師器、鉄鏃、埴輪(円筒・朝顔形・人物・馬形)、奈良時代?平安時代の掘立柱建物跡9棟
101988住吉本町1丁目弥生時代の土坑、弥生後期の土器片、古墳時代…第7次調査時検出の2基の古墳の一部確認、奈良時代の水田、溝跡、須恵器、中世の水田、天目茶碗
111988住吉宮町6丁目弥生時代中期?古墳時代前期の竪穴住居跡6棟、土器(第II、III様式、庄内式並行式)、石器石鏃・石錘・刃器・太型蛤刃石斧・砥石)・管玉、古墳時代の竪穴住居跡4棟、庄内式?布留式並行期・6世紀後半、平安時代前期の掘立柱建物跡3棟、地鎮遺構2基、平安時代後期の掘立柱建物跡2棟、東播系須恵器・灰釉陶器碗。


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