この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2011年6月)
イザナギの禊ぎによって生まれた神々(『古事記』に基づく) SVGで表示(対応ブラウザのみ)
住吉三神(すみよしさんじん)は、神道で信仰される神である。 『日本書紀』では主に底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)、『古事記』では主に底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)と表記される3神の総称である。住吉大神ともいうが、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。 住吉は、元は「すみのえ」と読んだ[1]。 かつての神仏習合の思想では、それぞれ薬師如来(底筒之男神)、阿弥陀如来(中筒之男神)、大日如来(上筒之男神)を本地とすると考えられた。[2] 伊邪那岐命と伊邪那美命は国生みの神として大八島を生み、またさまざまな神を生んだが、伊邪那美命が火之迦具土神を生んだときに大火傷を負い、黄泉国(死の世界)に旅立った。その後、伊邪那岐命は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとするが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行った。このとき、瀬の深いところで底筒之男神が、瀬の流れの中間で中筒之男神が、水表で上筒之男神が、それぞれ生まれ出たとされる。 日本書紀によれば、仲哀天皇の御代、熊襲、隼人など大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき、神功皇后が神がかりし、「貧しい熊襲の地よりも、金銀財宝に満ちた新羅を征討せよ。我ら三神を祀れば新羅も熊襲も平伏する」との神託を得た。しかし仲哀天皇はこの神託に対して疑問を口にしたため、祟り殺されてしまう。その後、再び同様の神託を得た神功皇后は、自ら兵を率いて新羅へ出航した。皇后は神々の力に導かれ、戦わずして新羅、高麗、百済の三韓を従わせたという。 住吉三神を祀る神社は住吉神社などという社名で、日本全国に約600社ある。
目次
1 概要
2 誕生
3 住吉三神と神功皇后
4 住吉三神を祀る主な神社
5 出典
6 参考文献
概要
誕生
住吉三神と神功皇后
住吉三神を祀る主な神社
三大住吉 三韓征伐に由来する神社
住吉大社(大阪市住吉区)・ 住吉神社(山口県下関市)・ 住吉神社(福岡市博多区)
三大住吉以外の三韓征伐に由来する神社
住吉神社(長崎県壱岐市)・ 風浪宮(福岡県大川市)・ 本住吉神社(神戸市東灘区住吉宮町)
三韓征伐に由来する神社から勧進された神社
服部住吉神社(大阪府豊中市)・ 住吉神社(兵庫県明石市魚住町)・ 住吉神社(兵庫県加西市北条町)・ 住吉神社(東京都中央区)・ 高良大社(福岡県久留米市)・ 安宅住吉神社(石川県小松市)・ 安住神社(栃木県塩谷郡)
出典”. 住吉大社によくある質問 > 住吉大社の由緒・伝統について. 住吉大社. 2014年2月27日時点の ⇒オリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年2月24日閲覧。
^ ⇒本地垂迹資料便覧
参考文献
秋田書店 『歴史と旅』 八百万の神々への祈り 航海安全・豊漁の神 住吉三神 、 尾崎友季著 P82-85 1999年
宗像市史編纂委員会 『宗像市史 通史編 第2巻(古代・中世・近世)』古代の海神 住吉の神 ツツノヲと住吉三神 津守連 安曇の神 阿曇連とヤマト王権 宗像神と住吉・安曇神、宗像市史編纂委員会編 P19-25 1999年
歴
神道
ポータル神道 - ウィキプロジェクト神道
基礎
神道
日本神話
神
日本の神の一覧
資料
古事記
日本書紀
風土記
古語拾遺
神社
神社
神社一覧
式内社
一宮
近代社格制度
別表神社
神社本庁
祭祀と祭礼
祭祀
神楽
祝詞
大祓詞
関連用語
神道用語一覧
神仏習合
山岳信仰
民俗学
国学
国家神道
教派神道
神職
カテゴリ
コモンズ
更新日時:2019年7月15日(月)13:11
取得日時:2019/08/17 16:01