住吉大明神
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イザナギの禊ぎによって生まれた神々(『古事記』に基づく) SVGで表示(対応ブラウザのみ)

住吉三神(すみよしさんじん)は、神道で信仰されるである。
目次

1 概要

2 誕生

3 住吉三神と神功皇后

4 住吉三神を祀る主な神社

5 出典

6 参考文献

概要

日本書紀』では主に底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)、『古事記』では主に底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)と表記される3神の総称である。住吉大神ともいうが、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。

住吉は、元は「すみのえ」と読んだ[1]

かつての神仏習合の思想では、それぞれ薬師如来(底筒之男神)、阿弥陀如来(中筒之男神)、大日如来(上筒之男神)を本地とすると考えられた。[2]
誕生

伊邪那岐命伊邪那美命は国生みの神として大八島を生み、またさまざまな神を生んだが、伊邪那美命が火之迦具土神を生んだときに大火傷を負い、黄泉国(死の世界)に旅立った。その後、伊邪那岐命は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとするが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国の汚穢を洗い清めるを行った。このとき、瀬の深いところで底筒之男神が、瀬の流れの中間で中筒之男神が、水表で上筒之男神が、それぞれ生まれ出たとされる。
住吉三神と神功皇后

日本書紀によれば、仲哀天皇の御代、熊襲隼人など大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき、神功皇后が神がかりし、「貧しい熊襲の地よりも、金銀財宝に満ちた新羅を征討せよ。我ら三神を祀れば新羅も熊襲も平伏する」との神託を得た。しかし仲哀天皇はこの神託に対して疑問を口にしたため、祟り殺されてしまう。その後、再び同様の神託を得た神功皇后は、自ら兵を率いて新羅へ出航した。皇后は神々の力に導かれ、戦わずして新羅高麗百済の三韓を従わせたという。
住吉三神を祀る主な神社

住吉三神を祀る神社は住吉神社などという社名で、日本全国に約600社ある。

三大住吉 
三韓征伐に由来する神社

住吉大社大阪市住吉区)・ 住吉神社山口県下関市)・ 住吉神社福岡市博多区


三大住吉以外の三韓征伐に由来する神社

住吉神社長崎県壱岐市)・ 風浪宮福岡県大川市)・ 本住吉神社神戸市東灘区住吉宮町)


三韓征伐に由来する神社から勧進された神社

服部住吉神社大阪府豊中市)・ 住吉神社兵庫県明石市魚住町)・ 住吉神社兵庫県加西市北条町)・ 住吉神社東京都中央区)・ 高良大社(福岡県久留米市)・ 安宅住吉神社石川県小松市)・ 安住神社栃木県塩谷郡


出典

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^ “住吉の地名には何か由来がありますか?”. 住吉大社によくある質問 > 住吉大社の由緒・伝統について. 住吉大社. 2014年2月27日時点の ⇒オリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年2月24日閲覧。
^本地垂迹資料便覧

参考文献

秋田書店 『歴史と旅』 八百万の神々への祈り 航海安全・豊漁の神 住吉三神 、 尾崎友季著 P82-85 1999年

宗像市史編纂委員会 『宗像市史 通史編 第2巻(古代・中世・近世)』古代の海神 住吉の神 ツツノヲと住吉三神 津守連 安曇の神 阿曇連とヤマト王権 宗像神と住吉・安曇神、宗像市史編纂委員会編 P19-25 1999年

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更新日時:2019年7月15日(月)13:11
取得日時:2019/08/17 16:01


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