住友銀行
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株式会社住友銀行
The Sumitomo Bank, Ltd.
かつて住友銀行本店だった三井住友銀行大阪本店営業部(設計:長谷部鋭吉
種類株式会社
市場情報東証1部 8318
1949年5月16日 - 2002年11月26日大証1部(廃止) 8318
1949年5月16日 - 2002年11月26日名証1部 8318
1989年3月23日 - 2002年11月26日札証 8318
1950年4月1日 - 2002年11月26日京証 8318
1949年12月 - 2001年3月1日広証(廃止) 8318
1951年3月 - 2000年3月1日
略称住銀(すみぎん)
SMTM
本社所在地 日本
541-0041
大阪府大阪市中央区北浜四丁目6番5号
設立1912年明治45年)2月23日
業種銀行業
事業内容普通銀行業務
代表者西川善文
(最後の代表取締役頭取
資本金7,528億4,800万円
売上高単体:2兆1,823億500万円
連結:3兆29億2,300万円
(経常収益、2000年3月期)
営業利益単体:1,764億7,700万円
連結:2,372億8,500万円
経常利益、同期)
純利益単体:488億1,800万円
連結:618億7,500万円
(同期)
純資産単体:1兆8,806億3,700万円
連結:1兆8,043億5,800万円
(同期末)
総資産単体:51兆893億3,800万円
連結:53兆7,675億400万円
(同)
従業員数14,394人(単体、同)
決算期3月31日
主要子会社 ⇒住友銀行グループの概要 (PDF) - 後身の三井住友フィナンシャルグループのディスクロージャー誌より。
関係する人物住友友純(初代社長)
外部リンクhttp://www.sumitomobank.co.jp/
インターネットアーカイブ
特記事項:いずれも2000年3月期決算。数値は、住友銀行の後身である「三井住友フィナンシャルグループ」のディスクロージャー誌( ⇒株式に関する情報 (PDF) 、 ⇒単体財務諸表 (PDF) 、 ⇒連結財務諸表 (PDF) )によった。
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住友銀行のデータ
統一金融機関コード0009
SWIFTコードSMITJPJT
店舗数国内:332店
海外:21店
(※出張所を含む)
貸出金残高31兆3,585億6,000万円
預金残高34兆2,298億3,100万円
(※譲渡性預金を含む)
特記事項:
いずれも2000年3月期決算。数値は、後身である「三井住友フィナンシャルグループ」のディスクロージャー誌( ⇒預金残高 (PDF) 、 ⇒貸借対照表 (PDF) )によった。
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株式会社住友銀行(すみともぎんこう、: The Sumitomo Bank, Ltd.[1])は、かつて大阪府に存在した住友グループ都市銀行2001年4月1日三井グループさくら銀行(旧・三井銀行)と合併し、現在の三井住友銀行SMBCグループ)となった。
概要

略称は「住銀」。大阪を拠点とする住友グループ(旧住友財閥)の中核で、本店は大阪市中央区北浜住友ビルディング(現在の三井住友銀行大阪本店営業部)に置かれていた。

先進的・効率的経営である一方、経営姿勢が慎重すぎるとして経済誌の顧客イメージランキングでは常に他行の後塵を拝していたが、「収益の住友銀行」と異名をとるほどの高い収益性を持ち、その事が後のさくら銀行の救済合併に繋がった。傘下の住友クレジットサービス(現在の三井住友カード)は日本で初めてVISAを発行したクレジットカード会社である。

同じ大阪に本店を置く三和銀行UFJ銀行、三菱東京UFJ銀行を経て現・三菱UFJ銀行)、大和銀行(現・りそな銀行)と並ぶ在阪三大都市銀行の一行でもあった。統一金融機関コードは0009で、(新旧)三井住友銀行(旧はさくら銀行と合併した時点での会社、新はわかしお銀行を存続会社とした現会社を指す)に引き継がれている。
経営理念

当時の住友銀行は、以下のように経営理念を発表していた。

質の高い金融サービスの提供により、お客さまの信頼にこたえるとともに、健全な業績の伸長を通じて広く内外社会の発展に貢献する。第1に、信用と社会的責任を重んじ、健全な経営を行う第2に、先進性、独自性、合理性を重視し、進取の経営を行う第3に、お客さま本位の経営を行う第4に、人間尊重の精神に則り、自由闊達な行風を創る第5に、高い見識と専門性を備えた、清廉な人材を育成する
歴史
江戸時代・泉屋両替店

住友銀行のルーツは、住友家(屋号を「泉屋」と称す)が別子銅山の経営を中心に発展を遂げていったことに始まる。江戸時代初期である1662年泉屋平兵衛友貞(住友二代目友以の末子)が両替商を大坂と江戸で手掛けて以来、金融業務を始め、泉屋両替店がその起源といえるが、同店は1684年為替不達事件を起こし、江戸両替店が一時閉鎖の憂き目に遭う。その後再興するが、1869年までに一度両替商を閉鎖、札差蔵元としての業務には終止符を打った。
明治維新から終戦まで・住友財閥の中核住友銀行

1875年に金融事業は並合業(自己資金による物品抵当の金融事業)として再開、並合業は年々業容を拡大していった。1890年銀行条令が発布されたのを機に、1895年5月、広島県尾道市で行われた住友家の重役会議で本格的な銀行業への進出が決定。同年11月1日住友本店銀行部として、住友吉左衛門の個人経営による資本金100万円の住友銀行(本店は大阪市中之島)が開業した。その後、初めての支店がその尾道市に開設されており、尾道支店として現存している。

1912年2月23日、株式会社に改組し、資本金1500万円の株式会社住友銀行が設立された(社長・住友吉左衛門、常務・中田錦吉)。1912年、株式会社六十一銀行を買収。1919年末には預金残高3億4836万円、貸金残高2億6156万円と、第一銀行三井銀行に次いで、全国第3位の規模となった。

一方、すでに外国業務を手掛けていたが、第一次世界大戦勃発に伴う輸出の急増、在外邦人の内地仕送りの増加から、海外拠点の開設が検討された。かくして1916年、市中銀行のトップを切って、サンフランシスコ支店およびハワイ住友銀行を開設、さらに同年に上海ボンベイ1917年漢口1918年シアトルロンドン、そしてニューヨークに拠点を開設、普通銀行の海外進出の先駆けとなった。


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