日本の政治家伴野 豊ばんの ゆたか
2011年5月
生年月日 (1961-01-01) 1961年1月1日(63歳)
出生地 日本 愛知県東海市
出身校名古屋工業大学工学部
名古屋工業大学大学院修士課程
前職東海旅客鉄道従業員
河村たかし衆議院議員秘書
所属政党(新進党→)
(民主党→)
(民進党(細野G)→)
(国民民主党→)
立憲民主党(野田G)[1]
称号工学修士
公式サイトサク・サケ・サカス 伴野豊 公式 ウェブサイト
伴野 豊(ばんの ゆたか、1961年1月1日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(6期)。
民主党副幹事長、民主党国際局長、外務副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、
国土交通副大臣(野田第3次改造内閣)などを歴任した。 愛知県東海市出身[4]。父は警察官[5]。愛知県立瑞陵高等学校、名古屋工業大学工学部卒業。名古屋工業大学大学院修士課程修了。1985年、日本国有鉄道に入社。1987年の分割民営化により、東海旅客鉄道に入社する。1994年6月に退社し[4]、衆議院議員の河村たかしの政策担当秘書となる[6][7][5]。同年12月に新進党が結成されると、同党県連の事務局次長を務めた[6]。 1995年の愛知県議会議員選挙・名古屋市港区選挙区は自民党の直江弘文と共産党の田中久幸の自共現職2議席で無投票とみられていたが、告示1週間前に伴野が新進党・社会党・公明党・新党民社・連合愛知の推薦を受けて立候補することを表明し、急遽選挙戦となった[6]。投票は4月9日に行われ、得票数2位の田中に650票差で敗れた[8]。 1996年10月の第41回衆議院議員総選挙に、愛知5区から新進党公認で出馬する。旧民主党の赤松広隆、自民党の木村隆秀(比例復活)に敗れ落選。 2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では、愛知8区に国替えし、自民党で元環境庁長官の大木浩に敗れたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し初当選。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙では、大木を破り再選。 2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では、愛知8区で自民党の伊藤忠彦に敗れたが、比例復活により3選。 2006年3月31日、民主党代表の前原誠司が、堀江メール問題の責任をとり辞任を表明[9]。
来歴