伯耆国
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伯耆国

■-伯耆国
■-山陰道
別称伯州(はくしゅう)
所属山陰道
相当領域鳥取県中部・西部
諸元
国力上国
距離中国
数6郡48郷
国内主要施設
伯耆国府鳥取県倉吉市伯耆国庁跡
伯耆国分寺鳥取県倉吉市(伯耆国分寺跡)
伯耆国分尼寺(推定)鳥取県倉吉市
一宮倭文神社(鳥取県東伯郡湯梨浜町
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伯耆国(ほうきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。
概要

同じ鳥取県に含まれる因幡国よりも島根県に含まれる出雲国と、古代遺跡の類似性、方言などの文化的共通点が多いため、雲伯という地域区分がある。

また、中国地方最高峰の大山を境にして、東伯(県中部)と西伯(県西部)に分かれ、方言や文化などに違いが見られる。
「伯耆」の名称と表記

藤原宮跡から出土した戊戌年(文武天皇2年・698年)6月の年月が記された木簡に、「波伯吉国」とある。7世紀代の古い表記を多く残す『古事記』では、これと別の伯伎国という表記が見える。平安時代編纂だがやはり古い表記を残す『先代旧事本紀』には、波伯国造が見える[1]。伯耆国風土記によると手摩乳、足摩乳の娘の稲田姫を八岐大蛇が喰らおうとしたため、山へ逃げ込んだ。その時母が遅れてきたので姫が「母来ませ母来ませ」と言ったことから母来(ははき)の国と名付けられ、後に伯耆国となったという。
領域

明治維新の直前の領域は現在の鳥取県米子市倉吉市境港市東伯郡西伯郡日野郡にあたる。
沿革

古墳時代以前には古代出雲に特徴的な四隅突出型墳丘墓が築かれており、『出雲国風土記』にも当地に聳え立つ霊峰伯耆大山の逸話も出てくることから出雲の文化圏と考えられている。弥生時代より東部出雲と同様、鉄器の製造が盛んであり、これらの地方の鉄が大和政権の原動力になったとの見方がある。登場する最古の文献は、『古事記』であり伊邪那美神の埋葬地「出雲と伯耆の堺の比婆の山」であり、現在の島根県安来市と鳥取県米子市の県境近くに比定される。古墳時代以降、律令の世になると伯耆国造がいた領域に、7世紀に伯耆国を設置した。前述したとおり、鉄器製造が盛んである地域にふさわしく、日本最古の刀匠の一人大原安綱を輩出した。
近世以降の沿革

旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点では国内の全域が因幡鳥取藩領であった(778村・245,034石余・一部は大山寺領など寺社領)。

河村郡(108村・28,645石余)、久米郡(120村・46,044石余)、八橋郡(108村・35,482石余)、汗入郡(75村・27,900石余)、会見郡(185村・70,839石余)、日野郡(182村・36,121石余)


明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により鳥取県の管轄となる。

明治9年(1876年8月21日 - 第2次府県統合により島根県の管轄となる。


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