伯封(はくほう、?音: bo f?ng)は、古代中国の人物。后?と玄妻のあいだの子。別表記は柏封[1]、柏封叔[2]。
『古今図書集成』によると、禹の時代に昭明という人物と共に暦を作るよう命じられた天官であったという[3]。
豚のような貪欲な心を持っていたので「封豕」と呼ばれていた[4]。その心ゆえ、あるいは政治上の対立ゆえに、后?によって仲康三年に殺されてしまった。
『路史
』夷?伝では、同じく?に殺された「封?」や「封狐」との関係性が指摘されている[5]。『屈辞精義』では封狐と同一人物として扱われている[6]。
古代の神々や人物を上上から下下までの九つに分類した『漢書』古今人表では「下中」に位置付けられている。
脚注^ 『晏子春秋集解』伯封作柏封
^ 『漢書』古今人表「柏封叔」
^ 『古今図書集成』「禹命伯封及昭明、作衍暦、歳紀甲寅、敬授人時。則伯封夏之天官。仲康征羲和、而夷?滅伯封、是與王室争諸侯耳」
^ 『春秋左氏伝』昭公二十八年「楽正后?取之、生伯封。実有豕心、貪?無?、忿?無期、謂之封豕」
^ 『路史』夷?伝「『伯封。実有豕心、貪?無?、忿?無期、謂之封豕、有窮后?滅之、后?是以不祀』。即封?。史伝堯時有封?、?擒之于桑林、此也。『離騒』等多言之、如『又好射夫封狐』。天問云『馮?利決、封?是射』。説者倶以為?狐殊為寡」
^ 『屈辞精義』「封狐。伯封。后?子」