あいだ よしお
會田 吉男
本名會田 吉男
別名義会田 吉男
生年月日1910年
没年月日1953年7月11日
出生地 日本 神奈川県
死没地 日本 静岡県駿東郡御殿場町(現在の御殿場市)
職業撮影技師
ジャンル映画
活動期間1947年 - 1953年
著名な家族熊谷久虎 義兄
番匠義彰 義兄
原節子 実妹
木下亮 甥
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會田 吉男(あいだ よしお、1910年 - 1953年7月11日)は、日本の撮影技師である[1]。原節子の実の兄としても知られる[1][2]。新字体表記は会田 吉男。 1910年(明治43年)、会田藤之助・ナミ夫妻の次男として、神奈川県に生まれる[1]。姉の光代(次女)は日活大将軍撮影所での女優を経て、映画監督の熊谷久虎の妻になり、姉の喜代子(三女)は銀行員と結婚して生まれた子がのちに映画監督の木下亮となり、妹の律子(四女)は映画監督の番匠義彰の妻となったがのちに離婚、末妹の昌江(五女)は、のちに女優・原節子となる[1][2]。 1941年(昭和16年)、母ナミ、死去[1]。 1947年(昭和22年)、東宝が製作した映画『春の饗宴』の撮影技師として、瀬川順一
人物・来歴
1953年(昭和28年)7月10日の19時ころ、義兄の熊谷久虎が監督、実妹の原節子が主演する映画『白魚
』の撮影技師として、静岡県駿東郡御殿場町(現在の御殿場市)の御殿場駅構内でのロケーション撮影におけるセッティング中、撮影助手とともに列車に轢かれ、同町内の北駿病院に運ばれたが、翌11日13時15分に死去した[2]。満43歳没。会田の遺作となった同作は完成し、同年8月5日に公開された。父藤之助が死去したのは、3年後の1956年(昭和31年)であった[1]。