会津高原尾瀬口駅
駅舎(2006年8月)
あいづこうげんおぜぐち
Aizukōgen-Ozeguchi
会津高原尾瀬口駅(あいづこうげんおぜぐちえき)は、福島県南会津郡南会津町滝原(たきのはら)字羽根子にある会津鉄道・野岩鉄道の駅。
会津鉄道会津線と野岩鉄道会津鬼怒川線の分界駅。会津鉄道会津田島駅までが電化区間のため、特急「リバティ会津」は直通運転される。 会津鉄道の管轄駅であるが、前述のように会津鬼怒川線の開通当初は野岩鉄道の管轄であったため、野岩鉄道仕様の案内サインも混在している。駅舎は線路の西側に立地し、ホームとは新藤原方の構内踏切で連絡している。 番線路線行先 行違い時などの一部の例外を除き、会津田島方面からの列車が1番線、新藤原方面からの列車が2番線に入線する。そのため基本的には、1番線から新藤原方面の特急・快速と会津田島方面の折り返し普通列車、2番線から会津田島方面の特急・快速と新藤原方面の折り返し普通列車が発車する。 駅舎窓口では、会津鉄道及び野岩鉄道の乗車券(東武鉄道への連絡乗車券を含む)と東武鉄道の特急券を、階下の「会津高原駅プラザ 憩の家」(観光物産館)では会津乗合自動車(会津バス)の乗車券を発売している。 駅構内の新藤原側に、既に本線とは接続されていない転車台の遺構がある。 乗車人員推移
歴史
1953年(昭和28年)11月8日 - 日本国有鉄道会津線の会津滝ノ原駅(あいづたきのはらえき)として開業[1]。
1966年(昭和41年)5月1日 - 野岩線起工式を当駅で挙行する。
1971年(昭和46年)8月29日 - 荷物および車扱貨物の扱い廃止[2]。営業要員の廃止にともない、旅客の取り扱いについては駅員無配置駅となる[3]。運転要員のみの配置とする。
1972年(昭和47年)11月1日 - 小口扱い貨物の取り扱いを廃止[1]。
1985年(昭和60年)11月 - 棒線化。当駅での運転取扱廃止。
1986年(昭和61年)10月9日 - 野岩鉄道会津鬼怒川線が当駅まで開業し、会津高原駅(あいづこうげんえき)に改称[4]。野岩鉄道の管轄駅となり出改札業務を再開。この時点では会津線が非電化のため、夜行を含む東武鉄道から直通する電車列車はもちろん、国鉄の気動車列車も野岩線に乗り入れることは無く、両路線とも当駅で折り返していた。
1987年(昭和62年)
4月1日 - 国鉄分割民営化により、会津線は東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線となり[1]、当駅もJR東日本の駅となる。
7月16日 - JR会津線が第三セクターの会津鉄道に転換される[1]。
1990年(平成2年)10月12日 - 会津線の当駅 - 会津田島駅間が電化され、会津鬼怒川線との相互直通運転を開始[5][6]。
2003年(平成15年)3月19日 - 当駅の管轄を、野岩鉄道から会津鉄道に移管する。
2005年(平成17年)3月1日 - 東武・野岩・会津各社のダイヤ改正で、浅草駅 - 会津田島駅間で運行されていた東武鉄道急行列車「南会津」が廃止(東武線内運行の「ゆのさと」に変更)。代わって会津鉄道から1日2往復の「AIZUマウントエクスプレス」が東武鬼怒川線鬼怒川温泉駅までの乗り入れを開始[7][8]。
2006年(平成18年)3月18日 - 会津高原尾瀬口駅に改称[9]、同日から東武鉄道夜行列車の乗り入れが始まり、当駅が終点およびとなる。
2022年(令和4年)3月12日 - 会津鉄道線内の普通列車の気動車化に伴い、会津鉄道と野岩鉄道の直通を特急「リバティ会津」と快速「AIZUマウントエクスプレス」のみに縮小[10]。
駅構造
のりば
1・2■会津鉄道会津線会津田島・西若松・会津若松方面
■野岩鉄道会津鬼怒川線新藤原・鬼怒川温泉・下今市・新栃木・浅草方面
改札口(2021年8月)
ホーム(2011年11月)
駅に併設されている「会津高原駅プラザ憩の家」(2011年10月)
転車台の遺構(2010年5月)
利用状況
会津鉄道 - 2015年度の1日平均乗車人員は36人であった[11]。
野岩鉄道 - 2015年度の1日平均乗車人員は224人であった[11]。
年度会津鉄道野岩鉄道
1996540
1997477
1998433
1999422
200074386
200166375
200255373
200352348
200441323
200541334
200638310
200738314
200830304
200927271
201033263
201133216
201236266
201333263
201449247
201536224