伏木駅
駅舎(2020年8月)
ふしき
Fushiki
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伏木駅(ふしきえき)は、富山県高岡市伏木古国府にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)氷見線の駅である。
かつては駅のすぐそばに伏木港駅があった。 島式ホーム1面2線を持ち、列車交換が可能な地上駅[22]。駅舎は下り線側にあり、駅舎とホームは跨線橋で連絡している[22]。木造駅舎を有する。 北陸広域鉄道部が管理下にある[23]。1997年(平成9年)6月より旅客減少を理由として、伏木観光推進センターJR部会が窓口業務を受託する簡易委託駅となったが、売上を向上させるために同年みどりの窓口が開設された[19][22][24][25]。 駅構内の南端から、東に向かって分岐する側線があり、その先は貨物列車用の操車場となっている[26]。
歴史
1900年(明治33年)12月29日:中越鉄道の高岡駅 - 伏木駅間開業にともない開業(一般駅)する[1][2]。なお、当時は終着駅(起点駅)であった[3]。
1912年(明治45年)4月4日:中越鉄道が島尾駅まで延伸され、中間駅となる[4][5]。
1914年(大正3年)12月19日:富山県が当駅構内より河口に至る専用鉄道において運輸業務を開始する[6]。
1919年(大正8年)7月12日:当駅の移転新築を行う[7]。
1920年(大正9年)
9月1日:中越鉄道の国有化により、鉄道省(国鉄)の駅となり、旅客に附随して手小荷物及び闊大貨物の取扱を行う[8]。当駅を境に高岡方は中越線、氷見方は氷見軽便線となる[8]。
10月27日:北海工業(日本製紙の前身の一つ、伏木工場を運営)等の専用鉄道が運行を開始する[6]。
1922年(大正11年)9月2日:軽便鉄道法廃止により、氷見軽便線が氷見線に改称される[9]。
1928年(昭和3年)11月28日:未明に駅舎が焼失する。なお、駅舎は改築中で、同日中に竣工の予定だった[10][11]。
1929年(昭和4年)11月:駅舎本屋の改築が完了する[12]。
1930年(昭和5年)3月30日:構内に伏木電信取扱所を開設する[13]。
1942年(昭和17年)8月1日:線路名称が改定され、中越線の高岡駅 - 伏木駅間が氷見線に編入されたことにより氷見線単独の駅となる[14]。なお、これにより所属線区は中越線から氷見線に変更され、氷見線の起点は高岡駅に変更となる[15][14]。
1952年(昭和27年)12月26日:当駅を現在地に移転し、また新築を行う[7]。
1953年(昭和28年)7月1日:当駅 - 雨晴駅間に越中国分駅が開業する[16]。
1974年(昭和49年)10月1日:営業範囲を改正し、旅客、荷物及び車扱貨物を取扱う駅となる[17]。
1984年(昭和59年)2月1日:営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃止する[18]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)および日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる[14]。日本貨物鉄道の駅としては、車扱貨物を取扱う[14]。
1996年(平成8年)3月16日:日本貨物鉄道の駅において営業範囲を改正し、専用線発着コンテナ及び車扱貨物の取扱を開始する[14]。
1997年(平成9年)6月:伏木観光協会に駅業務を委託し簡易委託駅となる[19]。
1999年(平成11年)3月31日:当駅構内のキヨスクが閉店する[20]。
時期未定:みどりの窓口が営業終了〈予定〉[21]。簡易委託を解除し、無人化〈予定〉[21]。
竣工式当日の伏木駅。右上は中越鉄道社長の高広次平、左下は伏木駅駅長土倉又三郎。
1933年(昭和8年)頃の伏木駅構内
昭和10年代の伏木駅構内
1929年(昭和4年)竣工の駅舎(1940年(昭和15年)頃撮影)
駅構造