伏木曳山祭
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伏木曳山祭
中町(左)と上町(右)の山車の「かっちゃ」
イベントの種類
通称・略称けんか山
勇み山
開催時期毎年5月の第3土曜日
会場富山県高岡市伏木地区
最寄駅伏木駅
公式サイト
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伏木曳山祭(ふしきひきやままつり)は、富山県高岡市伏木地区にて毎年5月の第3土曜日に行われる、江戸時代後期より続く、海岸鎮護・海上安全の神である伏木神社の春季例大祭。7基の山車が出て、夜にはこの祭り最大の見どころである「かっちゃ」または「かっちゃい」(かち合いが変化したもの)といわれる、山車同士のぶつけ合いが行われる勇壮な日本三大喧嘩祭りのひとつとされ[1]、「伏木のけんか山」の別名で親しまれており、毎年約9万人の観客でにぎわう[2]。なお前日の金曜日には、夕刻すぎより前夜祭として「宵山ライトアップ」が行われる。
概要

天平の時代には越中国府がおかれ、万葉集の編纂者でもある大伴家持が国主として赴任した伏木は、大伴家持が数多く唄を詠んだ越中万葉の里として、また江戸時代には北前船で繁栄した港町として、そして現在は国際拠点港湾特定港に指定されている港町である。かつて海岸沿いに神明社が置かれていたが波の浸食によってさらわれたため、現在の場所に1813年文化10年)伏木神社として遷座された際に、神幸供奉のため曳山が創建されたといわれる。1916年大正6年)までは9月25日に行なわれていた。

祭礼の約一週間前に山車の倉出しが行われ、各町内を曳き回す。各町の山車は通常9から10段ある提灯の内、4から5段の提灯を上部に付け、何らかの山車の部位の新調をおこなった町はすべての提灯を付けて曳かれる。その後前夜祭までに、ご神体や提灯山の際外される曳山彫刻の取り付け、かっちゃで必要な付長手(つけながて)の付け替えなどが行われる[3][4]

金曜日の前夜祭は1998年平成10年)より行なわれているもので、19時より山倉前に7基すべての花山車が並ぶ「宵山ライトアップ」が行われ、お囃子なども聞くことができる。なお、2016年(平成28年)は十七軒町曳山の完成を記念し、かっちゃの会場でもある本町広場で行われた[5]。また金曜日の昼間には、各町が山宿開きをし、露払いとして地元と近隣の児童園児達の母衣(ほろ)武者行列を先導に[6]神輿、花傘、太鼓などの露払いとして地元の児童園児達の母衣(ほろ)武者行列を先導に[6]神輿、花傘、太鼓などの御幸行列が、各山町の山車の曳き手も加わり巡行する。なお2021年令和3年)まで、御幸行列の巡行は例大祭当日におこなわれていた[7]

土曜日の例大祭には、港町である伏木の市街地を、7基の花山車が各町揃いの法被姿の若衆によって「ア、イヤサー! イヤサー!」(万歳を意味する「弥栄」いやさかに由来)と威勢のいい掛け声のもと勇壮に曳き回される。昼の巡行が終了すると各曳山は山倉前に集まり、花笠や彫物などを外し、神座(御神体)を下ろし提灯山に衣替えし、18時40分頃より夜空をほのかに染めながら曳回され、2ヶ所で山車同士の激しいぶつけ合い「かっちゃ」が行われる。現在は一般的にけんか山と言われるが、以前は「勇みだし」、「勇み曳山」とも言われ、1974年昭和49年)までポスターに使われている。

なお、伏木曳山祭(けんか山)は1985年(昭和60年)7月8日、高岡市の無形民俗文化財に指定されている。また2006年(平成18年)には、「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選定されている。

2020年(令和2年)4月3日、新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、関係諸団体はこの年の曳山の巡行などの中止を決定[2]。翌2021年(令和3年)は、曳山巡行は巡行路を短縮し行い、かっちゃは長い歴史の中で初めて無観客で行う予定であったが[8]、その後中止決定がなされ、日中の短縮巡行のみとなる[9]

2021年(令和3年)の祭礼までは、曜日にかかわらず5月14日が前夜祭、5月15日に本祭と日にちが固定されていたが、2022年(令和4年)の祭礼より、高岡市教育委員会の承認を経て、毎年5月の第3土曜日の開催とすることなった。神輿、曳山の曳き手の確保や、祭礼後の片付け等が翌日明け方までかかることから、今後平日開催は難しいと判断したものである[10][11]
母衣(ほろ)武者行列

子供達が武者のいで立ちで神輿の露払いを行うもので、曳山と同じく約200年の歴史がある。この行列は昭和40年代初頭に一旦姿を消したが地元有志の協力により1981年(昭和56年)に復活した。現在は1999年(平成11年)に発足した「伏木母衣武者保存会」により行われている。近年は伏木小学校の2?6年生の児童、現在は伏木小学校のほか地元近隣の小学校、幼稚園、保育所の児童園児達12人により、よろいを着て母衣を担ぐ「大将」や弓と矢を持った「矢担ぎ(矢持ち)」、「やっこ」に扮して行進を行っている[12][6]
山車

明治時代に7基になる予定であった山車は、1880年明治13年)の大火で、1864年元治元年)創建の十七軒町(じゅうしちけんまち)の山車・御神体が、高欄の一部を除き焼失した後に、湊町(みなとまち)の山車が1892年明治25年)に創建されたため7基揃わず6基であったが、2002年平成14年)より十七軒町の山車再建に着手し、順次御神体、前立人形、鉾留を復元、2015年(平成27年)4月29日には135年振りに再建され、長きに渡り念願だった7基が揃った[13]

一番古い山車は中町のもので、1820年文政3年)9月の創設であるが、それを遡ること39年前の1781年天明元年)に、上町(かんまち)と本町(ほんまち)で御神体が製作されていたことが、御面像付け根の墨書きによりわかっている。

山車は高さ約8m、幅約2.2m、長さ10m以上、重さ約8tで、地車に鉾柱(心柱)を立て花傘を纏い、最大の特徴である、かっちゃで山車同士をぶつけ合うための付長手(つけながて)を前後に備えた花山車である。上山と下山(地山)の二層構造で上山中央の鉾柱(心柱)の上部には髭籠(ひげこ)といわれる竹籠を付け、その周りに3色の菊の造花を5個付けた割竹を放射状に広げた花傘の鉾山で、鉾柱(心柱)の先端にはだしといわれる鉾留が付いており、鉾柱のたもとの神座には七福神の御神体を供えている。また前立人形といわれるから操り人形が供えられている。高欄や後屏には桃山時代の特徴を備えた彫刻が施され、下山は柱の間に斜交い(はすかい)を用い、かっちゃ用の頑丈な造りとなっており、御簾(みす)を掛けたものと大幕(おおまく)が張られたものがある。下山内部には囃し方が乗り込むが、囃子には(篠笛)太鼓を用いる。車輪は4輪の大八車(外車)様式の輻車(やぐるま〔スポーク式〕)または板車で、接地面には焼き嵌めによって鉄輪が嵌められている。山車の前後には2人ずつ計4人の曳子頭が乗り、拍子木、笛などで山車の巡行、角回し、かっちゃの際指示を出す。

夜には、御神体人形を山車から下ろし各町の山宿に安置し、彫刻なども外し山車の周りに9ないし10段からなる約360張りもの丸提灯(1年365日に由来)、四隅には小田原提灯(四季に由来)を付けたかっちゃ仕様の提灯山となる。また以前は女人禁制だったが、2002年(平成14年)より女性も曳き手に加わった。ただし「かっちゃ」には大変危険なため加わることはない(但しかっちゃ会場への入退場には参加し、客席最前列で観覧している)。

2022年令和4年)には、7町の全曳山が文化庁からの補助金5041万円を利用し、祭礼創設以来初めて揃って、曳山部材の一部新調や、修理を施したりした[14]
付長手(つけながて)

この山車最大の特徴であるかっちゃ用の付長手は「大砲」とも呼ばれ、先端に補強のため鉄輪がはめられた直径30?40cm、長さ4.7mのの大木で、轅(ながえ)を介し山車の前後に計2本取付けられる。この付長手は毎年新しい物と交換するのだが、各町の人達が自ら山から樫の木を切りだし、形を考慮しながら加工し、ぶつけ合う先端には幅約5cm、厚さ2、3cmほどの鉄輪をはめ補強する。


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