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伊香保温泉
象徴的な石段街(2010年撮影)
温泉情報
所在地群馬県渋川市伊香保町
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度29分51秒 東経138度55分4秒 / 北緯36.49750度 東経138.91778度 / 36.49750; 138.91778座標: 北緯36度29分51秒 東経138度55分4秒 / 北緯36.49750度 東経138.91778度 / 36.49750; 138.91778
交通鉄道:上越線渋川駅より路線バスで約20分
高速バス:上州ゆめぐり号新宿駅より約2時間30分
車:渋川伊香保インターチェンジより約20分
泉質硫酸塩泉、温泉法上の温泉
外部リンク ⇒伊香保づくし【伊香保温泉旅館協同組合】
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伊香保温泉(いかほおんせん)は、群馬県渋川市伊香保町にある温泉。草津温泉と並んで県を代表する名湯で、上毛かるたでは「伊香保温泉日本の名湯」と歌われている。目次 急傾斜地に作られた石段の両側に、温泉旅館、みやげ物屋、遊技場(射的・弓道)、飲食店などが軒を連ねている。365段の石段は温泉街のシンボルであり、この界隈は石段街と呼ばれる。石段の下には黄金の湯の源泉が流れ、小間口[1]と呼ばれる引湯口から各旅館に分湯されている。石段の上には伊香保神社が存在する。 石段上の源泉周りは整備されており、源泉が湧出する様子を見ることができる。また石段から源泉までの遊歩道の途中に飲泉所も存在する。源泉の傍には「伊香保露天風呂」が、石段の途中には共同浴場「石段の湯」が存在する。 温泉街と近くの物聞山にある上ノ山公園を結ぶロープウェイ(伊香保ロープウェイ)が存在する。 温泉街の周辺には榛名山や、水沢うどんで有名な水沢観音などが存在する。 開湯時期は諸説あり定かでない[2]。しかし、万葉集にはその名が登場している[2]。 伊香保温泉を象徴する石段街が形成されたのは戦国時代で長篠の戦いで負傷した兵士の保養地だった[2]。一説には石段街は源泉の湯を効率よく供給できるよう武田勝頼が真田昌幸に命じて整備させたという[3]。 明治時代以降は竹久夢二、徳富蘆花、夏目漱石、萩原朔太郎、野口雨情など文人が多く訪れた。また、御用邸やハワイ王国大使別邸なども作られた。 伊香保温泉の老舗旅館、千明仁泉亭は、伊香保を愛した明治の文豪徳富蘆花が常宿として生涯10回宿泊し、ひいきにした旅館であり現存する。海軍少尉川島武男と陸軍中将片岡毅の娘浪子が、愛し合いながらも運命に翻弄される悲劇の物語小説『不如帰』の冒頭を飾る宿である。 更に1910年(明治44年)には、渋川から路面電車も開通した。同線は後に東武伊香保軌道線となり、バスの台頭で1956年(昭和31年)に全廃されている。
1 泉質
2 温泉街
3 歴史
3.1 2004年の温泉偽装問題
4 アクセス
5 温泉饅頭
6 伊香保温泉を題材にした楽曲
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
泉質
硫酸塩泉
黄金(こがね)の湯
温泉法上の温泉(メタけい酸による規定)
白銀の湯
温泉街
歴史 明治20年代の伊香保温泉石段街 みやげ物屋が並ぶ石段街 県道33号から見下ろす温泉街