伊集院町下神殿
大字
日置市立伊集院北中学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度39分21.9秒 東経130度24分53秒 / 北緯31.656083度 東経130.41472度 / 31.656083; 130.41472
国 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 日置市
地域伊集院地域
人口(2020年10月1日現在)
? 合計696人
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号899-2511
市外局番099
ナンバープレート鹿児島
伊集院町下神殿(いじゅういんちょうしもこうどの[1][2])は、鹿児島県日置市の大字[3]。旧薩摩国日置郡伊集院郷下神殿村、日置郡下伊集院村大字下神殿、日置郡伊集院町大字下神殿。郵便番号は899-2511[4]。人口は696人、世帯数は283世帯(2020年10月1日現在)[5]。 日置市の中央部に位置しており、神之川支流野田川の中流域に位置している[2]。町域の北方には東市来町養母、伊集院町上神殿、東方から南方にかけては伊集院町麦生田、西方には伊集院町桑畑、伊集院町妙円寺がそれぞれ隣接している。 字域の南端部を国道3号が東西に通っており、西部には鹿児島県道304号仙名伊集院線が南北に通っている。また、県道304号に沿って九州新幹線が通っている。 教育施設は東部に日置市立伊集院北小学校 下神殿という地名は鎌倉時代より見え、薩摩国伊集院のうちであった。建久8年の薩摩国図田帳には伊集院のうちとして「下神殿十六町 万得」とある。また、鎌倉時代末期頃のものと推測される伊集院分造宇佐宮用途支配注文には「下神殿 肆拾参疋 米玖斗壱合」とある。南北朝期には下神殿は伊集院氏が領していたが、戦国期になり伊集院氏は没落し、伊集院のその他の地と共に島津本家の直轄地となった。 永正11年の伊集院諏訪祭札番帳には「六番 下神殿名」とあり、島津本家の支配下で伊集院麓にある諏訪神社(現在の南方神社 江戸時代には薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちであり、村高は天明8年の「由緒再撰記」では824石余、「天保郷帳」では839石余、「旧高旧領取調帳」には839石余であった[2]。 1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い、伊集院郷の北部にあたる苗代川村・野田村・神之川村・宮田村・寺脇村・上神殿村・下神殿村・嶽村・桑畑村・麦生田村・有屋田村の区域より日置郡下伊集院村が成立した[7]。下神殿村は下伊集院村の大字「下神殿」となった[2]。1947年(昭和22年)には町村制施行時より村の西部の苗代川(現在の日置市東市来町美山)にあった下伊集院村役場が、下伊集院村の中央部に移転することとなり、下神殿1500番地に移転した[8]。
地理
河川
野田川
歴史
下神殿の成立と中世
江戸期の下神殿
町村制施行以後旧下伊集院村における下神殿(オレンジ色)の位置
1979年(昭和54年)10月8日に妙円寺団地の区域にあたる区域において大字が設置され、大字郡(現在の伊集院町郡)のうち字立野・宇都平・中迫・分亀・舟床原・木原迫・中木原・木原ノ原、大字徳重(現在の伊集院町徳重)のうち字西原・内尾迫・一本松・大木原・鬼ヶ瀬戸・長迫・平原ノ上、大字野田(現在の伊集院町野田)のうち字小堀・東原、大字下神殿のうち字尾見鳥の各一部より妙円寺一丁目、大字徳重のうち字一本松、大字野田のうち東原・川路山、大字下神殿のうち字尾見鳥・大字桑畑(現在の伊集院町桑畑)のうち字樋掛・松ヶ迫・桑迫の各一部より妙円寺三丁目がそれぞれ設置された[10][2]。2001年(平成13年)には桑畑字井手下の一部が下神殿字桃北田の一部、妙円寺三丁目字井寺下が下神殿字尾見鳥の一部、下神殿字桃北田の一部が桑畑字井手下の一部となった[11]。
2005年(平成17年)5月1日に伊集院町が日置郡東市来町、吹上町、日吉町と合併し日置市が成立した[12]。