伊達政宗
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この項目では、伊達氏の17代当主(仙台藩初代藩主)について説明しています。その他の用法については「伊達政宗 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

 凡例伊達 政宗
伊達政宗像(東福寺霊源院蔵、土佐光貞筆、江戸中期頃)
数少ない隻眼で描かれた肖像画。
時代戦国時代から江戸時代前期
生誕永禄10年8月3日1567年9月5日[1]
死没寛永13年5月24日1636年6月27日[2]
改名梵天丸(幼名)→政宗
別名仮名:藤次郎
渾名独眼竜
諡号貞山公
神号武振彦命
戒名瑞巌寺殿貞山禅利大居士
墓所瑞鳳殿妙心寺塔頭蟠桃院
官位従五位下左京大夫侍従越前守
従四位下右近衛権少将陸奥守
正四位下参議従三位権中納言
従二位
主君豊臣秀吉徳川家康秀忠家光
仙台藩初代藩主
氏族伊達氏
父母父:伊達輝宗
母:義姫最上義守の娘)
兄弟政宗、小次郎、千子姫、秀雄
妻正室:愛姫田村清顕の娘)
側室:新造の方飯坂の局於山方荘厳院勝女姫妙伴
秀宗忠宗宗清宗泰宗綱宗信宗高竹松丸宗実宗勝亘理宗根
五郎八姫牟宇姫岑姫千菊姫津多
花押
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伊達 政宗(だて/いだて[3][4][5] まさむね)は、出羽国山形県)と陸奥国宮城県福島県)の武将戦国大名伊達氏の第17代当主。近世大名としては、仙台藩宮城県岩手県南部)の初代藩主である。
生涯小室達作(第2代)伊達政宗騎馬像(仙台市・仙台城本丸、2004年10月撮影)
出生から初陣まで

永禄10年8月3日(1567年9月5日[1]出羽国米沢城で、伊達氏第16代当主・伊達輝宗(てるむね)と、正室である最上義守の娘・義姫最上義光の妹)の嫡男として生まれた。幼名は梵天[6]。生誕地は通説では米沢城であるが館山城とする学説もある[7]

天正5年(1577年)11月15日、元服して伊達藤次郎政宗と名付けられる。の「政宗」は父・輝宗が伊達家中興の祖といわれる室町時代の第9代当主・大膳大夫政宗にあやかって名づけたもので、この大膳大夫政宗と区別するため藤次郎政宗と呼ぶことも多い。梵天丸はこの諱を固辞したが、父・輝宗より強いて命ぜられた。史料上にも正宗と書かれたものがいくつかあるが、これは誤記や区別のための書き違えである。伊達家はそれまで足利将軍からの一字拝領を慣習としてきたが[注 1]、政宗の元服に際しては、当時織田信長によって京より追放されていた足利義昭からの一字拝領を求めなかった。

天正7年(1579年)10月、仙道の三春城主・田村清顕より婚儀の相談があり、御入輿の日取り、路次警固等合い調う。その冬、政宗が13歳のとき、清顕の娘、当時11歳の愛姫(めごひめ)(伊達政宗と同じく伊達稙宗曽祖父にもつ)を正室に迎える。伊達郡梁川城で輿の引継ぎが行われ、伊達成実遠藤基信らに守られて、雪深い板谷峠を避け、小坂峠七ヶ宿二井宿峠を経て、米沢城に入輿した[8]

天正9年(1581年)5月上旬、隣接する戦国大名相馬氏との合戦で伊具郡に出陣、初陣を飾る。また、この頃から輝宗の代理として田村氏蘆名氏との外交を担当しており、蘆名盛隆が対相馬氏戦で援軍を送ったのは政宗の働きかけによるものである[9]
家督相続から摺上原の戦いまで伊達政宗の馬印(右)伊達政宗の馬印(左)

天正12年(1584年)10月、父・輝宗の隠居にともない家督を相続し[10]、伊達家第17代当主となり、父と同じく米沢城を本拠とする。この時、政宗は若年を理由に辞退を申し出たが、一門・重臣の勧めを受けて家督を譲り受けている[11]。なお、仙台藩の公式記録である『伊達治家記録』では、家督相続を10月6日から22日の間の出来事と記し、これについては現存史料でも輝宗の当主としての発給文書の終見が10月5日付[12] で、政宗の当主としての発給文書の初見が10月23日付のうえ、輝宗隠居の知らせを聞いた石川昭光(輝宗の実弟)からの問い合わせに対する回答[13] と伝えられている。2023年に入り、山形大学名誉教授の松尾剛次は最上義光宛の天正12年某月12日付書状の内容を再検討した結果、家督相続は10月12日、あるいは少なくとも10月12日までのことであるとした[14][15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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