伊豆半島
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伊豆諸島」とは異なります。
伊豆半島のランドサット衛星写真。
スペースシャトル標高データ使用。.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}伊豆半島 伊豆半島の位置

伊豆半島(いずはんとう)は、日本列島のうち本州の南東部に位置する半島静岡県の東端部に位置し、南へ約50kmにわたって突き出した半島は東岸に相模灘、西岸には駿河湾があり、最南端の石廊崎から太平洋を望む。

明治以前は伊豆国として東海道の1であった。
地理拡大
Clip 伊豆半島の周辺

静岡県の東端部に位置し、南へ約50kmにわたって突き出した、駿河湾相模灘を隔てている半島である。一説には、南海に突き出ているので、「出づ」から「伊豆」と呼ばれるようになったと言われる[1]

北部を除き山地が大部分を占め、平坦地は少ない。したがって、市街地は狭く、海岸沿いの低地や谷に住宅が集まっている。東岸に相模灘、西岸には駿河湾がある。最南端は石廊崎であり、太平洋を望む。なお、フィリピン海プレートの東端に載る伊豆諸島小笠原諸島から沖縄県の各諸島までの海域は、太平洋の一海域であるフィリピン海の一部であるが、この名称は日本では普及していない。

北部は、一級河川の狩野川の沖積平野である田方平野が広がっており、伊豆半島内でも田畑が多く、稲作は弥生時代の遺跡もあり古く農業が行われている[2][3]

また、伊豆半島は山が険しく人の手の入らない箇所が多くあり、海岸線と天城山などの中北部の山稜が、富士箱根伊豆国立公園の一部として指定されている。
主要な地形伊豆半島の地形図。人家の多くは明色で表された平地部に集まる。中央右やや下の高峰が天城山。

火山南崎火山天城山達磨山玄岳丹那山地静浦山地伊豆東部火山群

一碧湖、松川湖(奥野ダムの人造湖)

狩野川(一級水系)、{初川、和田川、糸川、白糸川など}は歴史的な土石流が多い

平野田方平野

海岸御浜岬砂州)、大瀬崎陸繋島と砂州)、堂ヶ島海岸、奥石廊崎海岸ヒリゾ浜大根島)、弓ヶ浜、白浜海岸、城ヶ崎海岸

断層 :北伊豆断層帯(丹那断層など)、石廊崎断層

地質:多賀火山灰地

地史拡大
Clip フィリピン海プレート(中央)の最北端に位置する伊豆半島。

伊豆半島の地殻フィリピン海プレートの最北端に位置している。北アメリカプレートとの衝突のため、岩盤に亀裂が起こり、これにマグマが貫入することにより、伊豆東部火山群が形成されている。このマグマの貫入によって、半島東部では群発地震がしばしば起こっている。

古くは、伊豆諸島の島々と同様に火山島であったこともあり、大型火山が大きく侵食された地形が残り、各地に温泉が湧く。植物相は、本州とは異なる南方系を形成している[4]。半島が海底火山であった頃の噴出物が海底に積み重なってできた地層を、古い順に仁科層群、湯ヶ島層群と呼ぶ[5]
1000万 - 200万年前
伊豆全体が浅い海となり、火山島になった火山もあった。この時期の噴出物で形成された地層を白浜層群と呼ぶ[5]
200万 - 100万年前
伊豆が本州に衝突して合体しようとしていた時期。この時初めて伊豆の大部分が陸地となり、以後はすべての火山が陸上で噴火するようになった。 この時期以降の堆積物を熱海層群と呼ぶ[5]
60万年前
本州から突き出た半島となる[6]。この頃に天城山達磨山などの大型火山ができた[5]
60万年前 - 20万年前
ほぼ現在の姿になる[6]
20万年前 - 現在
20万年前頃になると、箱根火山を除く複成火山は活動を停止し、単成火山で構成される伊豆東部火山群が活動を始める[5]
異説

上記の『伊豆半島がフィリピン海プレートに乗って南から移動し、本州にぶつかった』とする説は、プレートテクトニクスに連動したものである。

一方、プレートテクトニクス説が普及する1980年以前は、伊豆半島は現在の位置で形成されたものと考えられていた。プレートテクトニクスに批判的な柴正博は、2016年時点でも半島の移動はなかったと主張している[7]

伊豆半島の鮮新世の地層からは、大型有孔虫のレピドシクリナが発見されるが、これは日本本土の他の地域では中新世中期の後期までには見られなくなる。この有孔虫は珊瑚礁に生息していたものとされており、これは伊豆諸島および伊豆半島がその当時熱帯にあった証拠と考えられている。これに対し、中新世中期は大規模な隆起が起きていた時期であり、それが周辺海域に粗粒堆積物を多量にもたらして珊瑚礁を全滅させたことで、有孔虫がいなくなったのであり、伊豆半島では大きな川がないためにサンゴ礁が無くならず、有孔虫が生き残ったと柴は推測し、半島が熱帯にあった証拠にならないとしている[7]

また小笠原諸島の生物相は、海洋島によく見られる生物相の特徴を持つ。それに対し、伊豆諸島はむしろ日本本土の生物相に非常に近い[注釈 1]。伊豆半島が北上して本州に繋がったのだとすれば、同じプレート上にある伊豆諸島、小笠原諸島もそれに伴って移動してきたと考えられるが、柴は先述の生物相の差異を指摘して、これを疑問視している。

柴によれば、過去のある時期に伊豆諸島と本州が同じ陸地にあり、その頃には寒冷な気候で、伊豆諸島の位置までが夏緑広葉樹林帯に覆われていたのが、後に海水面が上昇して島となり、隔離によって種分化が進んだという。中新世末期には、伊豆半島から伊豆諸島の青ヶ島までを含む、巨大な半島(古伊豆半島)が[注釈 2]順次切り離されていったと、柴は推測している。
主な自然災害(20世紀以降)

1923年9月1日 大正関東大震災

1930年2月13日- 伊東群発地震

1930年11月26日 北伊豆地震(三島市で最大震度6,死者272人)

1944年12月7日 昭和東南海地震(静岡県御前崎市で最大震度6)(死者・行方不明者1223人、伊豆から紀伊に津波)

1974年5月9日 伊豆半島沖地震(静岡県南伊豆町で最大震度5、死者30人)

1978年1月14日 伊豆大島近海の地震(伊豆大島と横浜市で最大震度5、死者25人)

1980年6月25日- 伊豆半島東方沖で群発地震(伊豆大島と熱海市で最大震度5)


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