伊藤涼太郎
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伊藤 涼太郎

名前
カタカナイトウ リョウタロウ
ラテン文字ITO Ryotaro
基本情報
国籍
日本
生年月日 (1998-02-06) 1998年2月6日(21歳)
出身地大阪府大阪市
身長174cm[1]
体重66kg[1]
選手情報
在籍チーム 大分トリニータ
ポジションMF
背番号46
利き足右足

クラブ1
年クラブ出場(得点)
2016- 浦和レッズ 1 (0)
2017-2018→ 水戸ホーリーホック (loan) 40 (9)
2019-→ 大分トリニータ (loan)
代表歴2
2013-2014 日本 U-15/16/17
2016 日本 U-18/1911 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年11月17日現在。
2. 2016年5月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

伊藤 涼太郎(いとう りょうたろう、1998年2月6日 - )は、大阪府大阪市出身のプロサッカー選手Jリーグ大分トリニータ所属。ポジションはミッドフィールダー。マネジメント会社はジェブエンターテイメント[2]
目次

1 来歴

1.1 プロ入り前

1.2 浦和時代

1.3 水戸時代

1.4 大分時代


2 人物・エピソード

3 所属クラブ

4 個人成績

5 タイトル

5.1 クラブ


6 代表歴

7 関連項目

8 注釈

9 外部リンク

来歴
プロ入り前

大阪府出身で、中学生時はセレッソ大阪U-15に所属。3年間技術を磨いたが、U-18チームへの昇格は見送られた[3]。「『なぜ』という思いよりも、『自分に足りない物が多すぎる』」と当時の力では昇格は厳しいとは薄々感じていたというが、絶対に見返してやりたいという思いを抱き[3]、知人の紹介で作陽高校サッカー部の練習に参加。そこでのプレーが監督・野村雅之の目に留まり[3]、作陽高へ進学した[4]

高校3年次の8月23日に浦和レッズの練習に招集され、中央大学との練習試合に参加。45分間の出場で1得点1アシストの結果を残すと、当時の浦和監督のミハイロ・ペトロヴィッチからは「今まで来た練習生の中で一番良かった。得点だけじゃなくて他のプレーも良かった。浦和にフィットしている」と賛辞を贈られ、スカウトの山田暢久からも評価された[3]。その後浦和から獲得オファーを受けると、「厳しい所でやった方が伸びるタイプだと自分で理解している」という理由から迷う事無く浦和入りを決意した[3]
浦和時代

2016年浦和レッズ小島秀仁以来のチーム5年振りの高卒ルーキーとして[5] 入団。当初はボランチとして起用され[6]、開幕戦でベンチメンバー入りを果たすと、4月29日の第9節・名古屋グランパス戦で柏木陽介との交代でプロデビューを果たし、交代直後はボランチ、途中からは本職のシャドーでプレーした[4]。しかしその後は柏木、阿部勇樹青木拓矢遠藤航らライバルの存在により出場機会が訪れず、同年は公式戦1試合出場に留まった[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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