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やノートページでの議論にご協力ください。いとう えいこ
伊藤 榮子
本名河原崎 榮子
別名義河原崎 有稀
生年月日 (1946-11-08) 1946年11月8日(77歳)
出生地兵庫県宝塚市
身長156cm
職業女優
ジャンルテレビ・映画
活動期間1963年 -
配偶者河原崎長一郎[1](1970 - 2003年、死別)
事務所アネモイエンタテインメント
主な作品
テレビドラマ
『姿三四郎』
『純ちゃんの応援歌』
『こちら本池上署』シリーズ
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伊藤 榮子(いとう えいこ、1946年11月8日[2][3] - )は、日本の女優[3]。本名は河原崎 榮子[1]。兵庫県宝塚市出身[4]。身長156cm、体重53kg[3]。梅花学園高校卒業。アネモイエンタテインメント所属(メンバー)。別名義は河原崎 有稀。 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2017年5月) 1963年、『姿三四郎』(フジテレビ、主演:倉丘伸太郎)で芸能界デビュー[2][3]。 1965年、日本電波映画製作のテレビ映画『柔道水滸伝』(フジテレビ、主演:平井昌一)に出演する。65-66年読売テレビの連続大河ドラマ「長流」(島本久恵原作)の主演で、京都市民映画祭主演女優賞受賞。 1970年、河原崎長一郎と結婚(以後、夫とは「おしどり夫婦」としてトーク番組等で共演する機会が多かった)。 1986年、『嫁と呼ばないで』で18年振りに主役を務めた。 2003年9月19日、夫が急性心不全のため64歳で死去[1]。 中国語を習得しており、中国人留学生と交流があり、京劇を日本に紹介する活動も行っている。 義弟・河原崎建三の妻・大川栄子とは本名および読み(河原崎 栄子、かわらさき えいこ)が全く同じである[1]。
来歴
人物
出演
テレビドラマ
姿三四郎(1963年、CX)
長流(1965-66年、読売テレビ、島本久恵原作)
明治天皇 第一部、(1966年、YTV) - 皇后
素顔の青春(1967年、NHK)
銭形平次(CX)
第60話「帰って来た男」(1967年) - お玉
第114話「山刃の掟」(1968年) - おゆき
第141話「金色の指」(1969年) - おきみ
第209話「女が消えた」(1970年) - お小夜
風 第20話「小指のない武士」(1968年、TBS)
三匹の侍 第5シリーズ 第25話「愛憎三猿」(1968年、CX) - たえ
大奥(1968年、KTV) - お玉の方(後の桂昌院)
帰って来た用心棒 第6話「粟田口の迎撃」(1968年、NET)
用心棒シリーズ 俺は用心棒 第12話「暁に染まるころ」(1969年、NET)
ライオン奥様劇場・影を慕いて(1969年、CX / 歌舞伎座テレビ室) - 玲子
連続テレビ小説 (NHK)
虹(1970年)
はね駒(1986年) - 津田梅子
純ちゃんの応援歌(1988年)- 小野あき(ヒロイン純子の母)
素浪人 花山大吉 第70話「味方の中に敵がいた」(1970年、NET) - お志乃
大忠臣倉(1971年、NET)
ナショナル劇場(TBS / C.A.L)
水戸黄門
第2部 第1話?第3話、第5話?第10話、第14話(回想シーン)(1970年) - 堀越菊江(お菊)
第4部 第3話「人情榛名おろし -高崎-」(1973年2月5日) - 忍
第25部 第2話「恵みの夫婦海苔 -君津-」(1996年12月16日) - 以祢
第27部 - 殿村久江
第16話「黄門様を探した娘 -久保田-」(1999年7月5日)
第24話「亡霊になって悪退治 -松代-」(1999年8月30日)
1000回記念スペシャル(2003年12月15日) - おその
ナショナル劇場50周年記念特別企画スペシャル (2006年3月13日) - 村雨
第40部 第3話「会津剣士、男の生きざま! -会津-」(2009年8月10日) - おふじ
最終回スペシャル (2011年12月19日) - お滝
大岡越前
第1部
第18話「復讐の十手」(1970年7月13日) - おこう
第22話「黒い罠」(1970年8月10日)‐ おこう
第3部 第16話「殺しの長脇差」(1972年10月2日) - おせい