伊藤政則
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いとう せいそく
伊藤 政則
生誕伊藤 政則(いとう まさのり[1]
(1953-07-10) 1953年7月10日(70歳)
日本 岩手県[2]
別名Masa-Ito[1]
出身校専修大学
職業音楽評論家DJ
肩書き『BURRN!』編集顧問[1]
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伊藤 政則(いとう せいそく[1]1953年7月10日[3][4] - )は、日本音楽評論家ヘヴィメタル専門誌である『BURRN!』の編集顧問。アイアン・メイデンボン・ジョヴィメタリカエアロスミスなど、数多くの世界的なバンドと交流があり、「Masa-Ito(本名に由来)」の愛称で親しまれている。ヘヴィメタルのみならず、60年代以降のブリティッシュ・ロック全般やプログレッシヴ・ロックにも精通していることで知られる。
来歴

岩手県花巻市出身[3]。少年時代からラジオファンであり、またロックファンであったが、1970年、『斉藤安弘のオールナイトニッポン』の1曲目にディープ・パープルの「ブラック・ナイト」がオンエアされた時の衝撃によって、よりロックにのめり込んでいったという。1971年夏に行われたピンク・フロイドの箱根での初来日野外ライブ(箱根アフロディーテ)が初のロック・コンサート体験。また中学時代は吹奏楽部でトロンボーンを担当した。

岩手県立花巻北高等学校から専修大学に進学し上京。休みの期間は地元に戻り岩手放送のレコード室でアルバイトを経験した[3]。一リスナーだったころから岩手放送に頻繁にリクエストを行っていたため、岩手放送のディレクターであった北口惇夫(故人)からは「洋楽は伊藤君、邦楽は天野君(天野滋)」と言われるほど目をかけられており、アルバイト時代に体調を崩したDJのピンチヒッターで、ラジオ番組『ロックランド』でDJを担当[3]。1曲目にキング・クリムゾンの曲をオンエアした[5]。また大学生時代に、本場の音楽に触れるために2か月ほどロンドンへ渡っていたことがある[6]

東京では新宿の歌舞伎町にあったロック喫茶でDJを務めていた[6]

その後ロック喫茶の先輩からニッポン放送を紹介され、糸居五郎などのオールナイトニッポンADを務め、そしてその話しぶりと音楽知識を当時のオールナイトニッポンチーフディレクターの岡崎正通に目を付けられ、勧められて1975年に「カッコマン」のマイクネームで1975年10月からオールナイトニッポン2部のDJを担当(カッコマンの名付け親は宇崎竜童[3][6]。最初は正体不明のDJとして売り出すためにマイクネームを付けられたが、元々はスタッフらから「こまわりくん」と呼ばれていたために、タイトルコールも「こまわりくん改めカッコマンのオールナイトニッポン」としていたことがあった[6][7]。もともとラジオファンであった素養を生かし、音楽ネタだけではなく爆笑ネタ・お色気ネタを数多く送り出した。

この頃より本格的に音楽業界へ入り、DJ業の傍らライナーノーツ執筆、『音楽専科』誌への寄稿を行う[8]

1970年代後半に入ると、伊藤の関心の対象であったハードロックプログレッシヴ・ロックの人気が衰えたため、仕事も減少。「自分を見つめなおすため」1979年に渡英。手にした音楽情報紙でサクソンアイアン・メイデンが出演するクラブの広告を見かけ、実際に見に行ったところ、アイアン・メイデンの「今までのバンドにないパワー」に衝撃を受ける。その日のうちにスティーヴ・ハリスともコンタクトを取った。その後もシーンを追いかけるうちにデフ・レパードの存在も知り、NWOBHMの興隆を間近で経験することになった。このことに伊藤は強い自負を持っており、「ヨーロッパを除いて、当時、世界でNWOBHMを正確に語れていたのは日本の俺とLAのブライアン・スラゲル(メタル・ブレイド・レコーズ創業者)、そしてサンフランシスコラーズ・ウルリッヒ、この3人だけ」と語っている[9]

その後、イギリスで「ロサンゼルスにハードロック・シーンができつつある」という情報を掴んだことから現地へ乗り込み、スラゲルと交流。メタリカの存在も知ることになった[10]

1980年代は『夕やけニャンニャン』(水曜、最初は「誰も知らなかったヘビメタ」コーナー担当、後に立見里歌のクイズコーナー「私 リカちゃん」の司会進行役として[6])や『TOKYOベストヒット』に出演しておニャン子クラブをはじめとしたアイドルを取り上げる番組にも関わりつつ、執筆活動で英米のヘヴィメタルを幅広く取り上げ、日本におけるこのジャンル紹介のパイオニア的存在となる。

元々ブリティッシュ・ロック全般のファンであったことから、ヘヴィメタル評論家として知られるようになった後も、1990年ローリング・ストーンズ初来日の際に、キース・リチャーズのマネージメントから指名を受けてインタビューを行うなど、ヘヴィメタル以外のロックも守備範囲に収めた活動を続けている。特にイギリスやイタリア、ドイツ等を中心としたプログレッシブ・ロックに精通しており、イギリスのピンク・フロイドルネッサンス、フランスのバンドのタイ・フォンやイタリアのニュー・トロルスなどを愛聴しており、ライナーノーツも書いている作品も非常に多い。


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