「伊東園ホテルズ」あるいは「伊藤ハム」とは異なります。
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株式会社伊藤園
ITO EN, LTD.
伊藤園本社ビル
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 2593
株式会社伊藤園(いとうえん、英: ITO EN, LTD.[4])は、東京都渋谷区に本社を置く、茶製品および清涼飲料水メーカーである。 株式会社伊藤園は、兄・本庄正則と弟・本庄八郎の兄弟によって創業された企業である[5]。その前身は1966年8月設立のフロンティア製茶株式会社で、日本ファミリーサービス株式会社と合資会社ビーエー商会(静岡市内のお茶輸出商社)の共同出資で、静岡市神明町(現・静岡市葵区神明町)に設立された[2]。 創業者である本庄正則は、1959年早稲田大学第一法学部を卒業して東都日産モーターで自動車セールスマンをしていたが、脱サラし日用品の訪問販売会社日本ファミリーサービス株式会社を1964年に起業した[6]。同社取扱商品の中の一つであった茶葉製品に注力するかたちで、1966年6月にフロンティア製茶株式会社を設立。茶葉製品市場に参入した[6]。その後、東京・上野にあった茶問屋「釜芳」より「伊藤園」の暖簾(商号)を200万円で譲り受け[7]、1969年5月より現社名の株式会社伊藤園に商号を変更している。同年6月、株式会社本庄商事(日本ファミリーサービス株式会社から商号変更)および合資会社ビーエー商会から緑茶事業の営業譲渡を受け、生産部門を確保し製茶事業にも参入した[2]。 1966年に手形詐欺事件に巻き込まれ約5,000万円の不良債権を抱えるなど、創業期の経営は順風満帆とは言えなかったが[7]、量り売りが主流であった当時の茶葉販売において、1972年に日本初の真空パッケージ入り茶葉の製品化に成功[7]。さらに埼玉銀行(現・りそな銀行、埼玉りそな銀行)[注釈 1]より資金を借り入れ、1974年静岡県榛原郡相良町(現・牧之原市)に生産工場と研究所を建設し[8]、流通業からメーカーへの転換を契機に業績を拡大していった[7]。1979年には、中国土産畜産進出口総公司と日本で初めて烏龍茶の輸入代理店契約を締結[7]。烏龍茶の輸入卸を手掛け、1981年に缶入り烏龍茶を世界で初めて生産・販売[7]、清涼飲料水市場に進出した。1985年からは現在の基幹商品となっている缶入り緑茶「煎茶」(現在の「お?いお茶」)も生産・販売を行い、1990年には世界初のペットボトル入り緑茶の製品化に成功[7]。2000年には飲料業界初のホット専用ペットボトル入り緑茶の製品化に成功するなど[7]、数々の日本初、世界初の製品化に成功してきた[7]。1998年には東証プライム上場企業にまで成長した[9]。 主力製品は、茶製品、野菜飲料、コーヒー飲料。清涼飲料業界第5位(2017年現在)ながら、茶葉製品および茶系飲料市場において最大手に位置している。インパクトの強い商品名『お?いお茶』は、新国劇の島田正吾が出演したCMでのセリフを契機に「缶入り煎茶」より品名変更された[10]。 コーポレート・メッセージは、「自然が好きです。」。 伊藤園の事業戦略の特徴は、飲料製造の最終工程では自社工場を持たないファブレス方式を採用している。自社工場の代わりに全国に約40か所ある協力企業の工場に生産を委託することにより設備投資を抑えている[11]。また、生産拠点と物流拠点を5つのブロックに分散化させるにより大規模災害によるリスクを最小限に抑える効果を期待している[11]。一方、茶原料の調達では「茶産地育成事業」を一部取り入れ、高齢化や後継者不足により減少する茶生産農家の対策を行うとともに、茶製品の6次産業化を行っている[12]。 販売方式の特徴は、創業以来続けているルートセールスによる販売方式である[13]。この方式は自動販売機を主としたベンダー事業でも採用されており、グループ会社や外部業者への委託が多い同業界において本体社員が直接展開している[13]。 日本ブーム・ダイエット嗜好の強いアメリカに2001年に進出する等(日経産業新聞より)、北米・東アジア・東南アジアを中心に海外でも事業展開している。また、宝塚歌劇のスポンサーの一社でもある。
概要
事業展開
お茶の専門店
茶十徳 - 関東地区の百貨店・スーパー等で展開。
Tea.Pi.O.(ティピオ) - 島屋7店舗(新宿店、京都店、柏店、日本橋店、JR名古屋店、立川店、大宮店)
ITOEN TEA GARDEN - 首都圏を中心に百貨店10店舗で展開。また、2010年5月よりセブンネットショッピングにも出店。
茶寮 伊藤園 - 「和」をテーマにしたカフェ。インバウンド対応のため国内の空港に展開するほか、首都圏の商業施設に出店。
工場
静岡相良工場(静岡県牧之原市女神21)
浜岡工場(静岡県御前崎市新野3406-4)
福島工場(福島県福島市荒井北1-2-9)
沖縄名護工場(沖縄県名護市伊差川112)
神戸工場(兵庫県神戸市西区見津が丘5-4-2)
沿革
1966年8月 - フロンティア製茶株式会社を静岡市神明町(現・静岡市葵区神明町)に設立。
1969年
4月 - 東京都練馬区に本店を移転。
5月 - 株式会社伊藤園に商号を変更。
6月 - 株式会社本庄商事および合資会社ビーエー商会から緑茶事業の営業譲渡を受け生産部門を確保。
1971年7月 - 東京都新宿区に本社事務所を移転。
1972年2月 - スイスインダストリアルゲゼルシャフト社製の高速自動包装機を導入。
1974年5月 - 静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)に静岡相良工場を建設し、生産体制を集約化。
1977年6月 - 直営専門店「茶十徳(ちゃじっとく)」第1号店を神奈川県横浜市にオープン。
1979年8月 - 日本で初めてウーロン茶の輸入代理店契約を中国土産畜産進出口総公司と締結し、ウーロン茶の販売を開始。
1981年
3月 - 世界初の缶入り「ウーロン茶」を開発、販売開始。飲料市場に本格参入。
5月 - 「伊藤園包装株式会社」(現・伊藤園産業)を設立。
8月 - 「株式会社沖縄伊藤園」(現・連結子会社)を設立。
9月 - スリランカより紅茶を直輸入。紅茶の販売を開始。
11月 - 伊藤園包装株式会社を「株式会社伊藤園紅茶」(現・伊藤園産業)へ商号変更。
1984年5月 - 株式会社伊藤園紅茶を「ロイヤルスペンサー株式会社」(現・伊藤園産業)へ商号変更。
1985年
2月 - 缶入り緑茶「煎茶」(現・「お?いお茶」)を開発、販売開始。
8月「伊藤園レディスゴルフトーナメント」スポンサー開始。
1986年9月 - 静岡相良工場敷地内に中央研究所を新設。
1987年7月 - ハワイ州に「ITOEN (USA) INC.」を設立(2016年にITO EN(Hawaii)LCCへ事業譲渡し、2017年解散)。
1989年
2月 - 「煎茶」を「お?いお茶」とブランド名を変更。
11月 - 「伊藤園お?いお茶新俳句大賞」開始。
1990年7月27日 - 本店を東京都練馬区大泉学園町二丁目8番8号から東京都新宿区歌舞伎町二丁目31番11号に移転。
1992年
5月 - 日本証券業協会に株式を店頭登録。
8月 - 東京都渋谷区(現在地)に本社ビルを竣工、本社事務所を移転。
1993年2月 - 静岡相良工場内にコーヒー焙煎の加工工場を新設。
1994年11月 - オーストラリアに「ITO EN AUSTRALIA PTY. LIMITED」(現・連結子会社)を設立。
1996年
7月 - ペットボトル入り緑茶の抽出法「ナチュラル・クリアー製法」で特許取得。
9月 - 東京証券取引所 市場第2部に上場。
1997年9月 - アメリカ食品医薬品局 (FDA) の承認を受け、テキサス大学M.D.アンダーソンガンセンターの臨床試験に協力。