伊藤咲子
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伊藤 咲子
出生名伊藤 咲子
[1]
生誕 (1958-04-02) 1958年4月2日(66歳)[2]
出身地 日本 東京都目黒区[2]
学歴堀越高等学校卒業
ジャンルアイドル歌謡曲
職業歌手
担当楽器ボーカル
活動期間1974年[2] - 1989年[2]
2004年[2] -
レーベル東芝EMI(1974年 - 1982年
徳間ジャパンコミュニケーションズ2004年 - 2014年
日本コロムビア(2014年 - )
事務所オフィス・トゥー・ワン(1974年 - 1980年
ミュージック・オフィス合田2004年 - )
公式サイト伊藤咲子公認ホームページ

伊藤 咲子(いとう さきこ、1958年4月2日[2] - )は、日本の女性歌手東京都目黒区出身[2]。本名:千葉咲子[2]旧姓:伊藤)。愛称はサッコ[3]堀越高等学校卒業。所属事務所ミュージック・オフィス合田
人物・経歴

祖父母が山形県出身であり、両親は山形疎開時に結婚し、山形県に住んでいたが、東京へ転居した後に伊藤が出生した。そのため伊藤は生まれも育ちも東京だが、山形に深い思い入れがあり、山形は自分の故郷と語っている。生まれた日は病院の周りの桜が満開で、母親は「桜子」と名付けたかったが親戚一同から“芸能人みたいでおかしい”と反対されて「咲子」と名付けられた。山形の父親の生家は代々の造り酒屋であったが、父親は上京してクラシック音楽写譜の仕事をしていた[4]。母方の親戚に声楽家砂原美智子がいる。

1973年(昭和48年)、15歳で日本テレビオーディション番組『スター誕生!』に出場して優勝[2]、これを機に芸能界へ。

デビューにあたり『スター誕生!』で芸名を公募した際、男性器をもじった案の応募があったことが、下ネタ嫌いと言われる司会の萩本欽一によって紹介された。またその前には『スター誕生!』出身で「花の中三トリオ」の森昌子山口百恵桜田淳子からそれぞれ1字ずつ採った「森山 桜」という案も紹介された。しかし最終的には本名でデビューすることになったと萩本が発表した[1]

1974年(昭和49年)4月20日東芝EMIからデビュー・シングル『ひまわり娘』を発売[5]アイドル歌手としてデビュー。しかしその年のレコード大賞、日本歌謡大賞の新人賞は受賞ならず。当時の所属事務所はオフィス・トゥー・ワン。同年末に発売のシングル『木枯しの二人』が、翌1975年オリコン年間ヒットチャートで36位にランクイン、自身最大のヒット曲となる。

1975年(昭和50年)、『乙女のワルツ』が日本テレビ音楽祭金の鳩賞、日本歌謡大賞放送音楽賞などを受賞[2]

1976年(昭和51年)3月5日、『きみ可愛いね』を発売[5]ヒット曲となる[2]。同年10月5日、『想い出のセンチメンタル・シティ』を発売[5]。同時に、デビュー以来のシングル盤の総数(プレス枚数または出荷枚数)が200万枚を突破したと東芝EMIから発表された[6]。同年末、第27回NHK紅白歌合戦に初出場し「きみ可愛いね」を歌唱[2]


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